同じ甥や姪のうちでも、伯父はとりわけ坂口を愛していた。そのような訳で、坂口は予《かね》てからの希望通り倫敦へ来て、伯父と一緒に住む事を許されたのである。
坂口は曾つて伯父の笑った顔を見たことはなかったが、伯父は親切で優しかった。坂口はそれだけ伯父の生活が寂しく思われてならなかった。倫敦へ来て親しく伯父に接するにつけて、頼りない伯父の身を気遣い、他所ながら面倒を見ようという殊勝な心持を深めていった。
「事によると、エリスさんの家にいるかも知れない」街の角に差かかった時、坂口は独言を云ったが、急に顔が熱《ほて》って来るのを感じた。
コックス家にはビアトレスという、美しい一人娘がある。坂口が倫敦へ着いて間もなく、伯父と共に晩餐に招ばれたのは、このビアトレスの家であった。従って彼が若い女性と言葉を交えたのは、彼女が始めてであった。
鉄柵を繞《めぐ》らした方園《スクエア》の樹木が闇の中に黒々と浮上っている。傾きかかった路傍の街燈が、音をたてて燃えていた。坂口の歩いてゆく狭隘《せま》い行手の歩道は、凹凸が烈しかった。
彼は方園《スクエア》を過ぎて、心もち弓なりになったクロムウェル街を、俯向
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