らぬチャタムに住んでいた頃からの友達であった。
 エリスの良人は珍らしい日本人|贔負《びいき》であった。凡そ日本の汽船でテームス川を溯ったほどの船員は、誰一人としてコックス家を知らぬものはなかった。永い単調な航海の後で、初めて淋しい異郷の土を踏んだとき、門戸を開放し、両手を拡げて歓び迎えてくれるコックス家を、彼等はどんなに感謝したことであろう。
 彼等はよく招かれてコックス家の客となった。船員仲間はそこを「水夫の家」と呼んでいた。
 それは二昔も以前の事である。ある年「水夫の家」の父は突然病を得て倒れて了《しま》った。後に残った若く美しい母は、生れた計りの女の子を抱えて、しばらく其土地に暮していたが、そのうち屋敷を全部売払って、現在のクロムウェル街に住むようになったのである。
 坂口は伯父とエリスがどのような関係にあるのかは少しも知らない。永い間海員生活をしていた伯父は、若い頃から幾度となく、英国と日本の間を航海していたが、つい二三年前に汽船会社を辞して了った。そして世間を離れて少時東京の郊外に仮寓していたが、何を感じたか、飄然と倫敦へ移ってきたのである。
 多くも無い親戚ではあるが、
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