来ないのだから、その積りで諦めるが可い。別に心配する事はない。晩の十時まで温順《おとな》しく此処にいればそれでいいのだ」
「母さんや林さんが、此旅館に来ていらっしゃるなんて、先刻電話をかけたのは貴郎でしょう」
「それは貴女を捕虜《とりこ》にする手段さ」
「母さんか、林さんが貴郎の顔を見れば、きっと誰だか知っているに違いありません。貴郎は男の癖に真実《ほんとう》に卑怯です。若し母さんに怨恨《うらみ》があるなら、何故男らしく正面から来ないのです」
ビアトレスは段々と落着いてきた。彼女はじっと男の顔を視詰めながらいった。相手は五十を二つ三つ越した色の黒い大柄な男である。彼はそれには応えず、
「どれ、俺は出掛けるとしよう。俺が帰って来るまで昼寝でもしているが可い」といいながら、手早くビアトレスに猿轡《さるぐつわ》をはめて、部屋に続いた奥の寝室へ引立てた。
彼はビアトレスの手首を結んだ紐の先を、寝台へ括りつけた。
「いいかね、静かにしているんだ。若し騒立てて家へ逃帰ったりすれば、貴女のお母さんは生命を隕《おと》すことになるんだよ。解ったかね」男は境の扉を閉めて鍵を下すと、次の間で何やらゴトゴ
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