一足後に退った。
 ビアトレスは軽く会釈をして、手をかけた把手《ハンドル》を廻しながら、扉を開けた瞬間、背後《うしろ》に立っていた給仕が突然《いきなり》躍り蒐《かか》った。
「呀《あっ》!」と云う間もなく、ビアトレスは両腕を捩上げられて了った。
 云うまでもなく部屋には誰一人いない。恐ろし気な顔をした給仕が、ドキドキする細長いナイフを、ビアトレスの鼻先に突つけている。彼女は努めて平静を装って、
「お前はこんな手荒な事をしてどうしようというの? 私の生命を奪《と》ろうというの?」と叫んだが、余りの怖ろしさにワナワナと体躯を慄わせていた。
 相手はビアトレスの手首を後手に括《くく》って了うと、薄気味悪く微笑いながらいった。
「静かにさえしていれば、そんな虞《おそれ》はない。まア少しの間、その椅子にでも腰をかけて気を落着けるが可い」
「貴郎は一体何者です。私の持っているものが欲しいなら、指輪でも、首飾りでも、皆あげますから、私を外へ出して下さい」とビアトレスがいうと、男は落着払って答えた。
「今に当方の用事が済んだら出してあげるよ。ここまで来て了えば、いくら騒いでも到底|遁《のが》れる事は出
前へ 次へ
全50ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
松本 泰 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング