壁に掛っている時計を見上げたが、いつ戻って来るか判らない女中を、的も無く待っていても仕方がないと思って、置手紙をして出掛ける事にした。彼女は紙片の端に、母から電話がかかったので食事に行くから、其積りでいてくれ、と鉛筆で走書をすると、それを台所の卓子の上へ乗せて置いて急いで家を出た。
ビアトレスは町の角からタクシーに乗って、H公園に近いパーク旅館に急がせた。
軈《やが》て旅館へ着いた。彼女は自動車を下りて賃金を払うと、電話で教えられた通り、入口の左側にある昇降機《リフト》室へ入った。
ビアトレスが五階へ運ばれて、廊下へ出た時には、四辺に人影がなかった。広い旅館の中はしん[#「しん」に傍点]として何の物音も聞えない。彼女は部屋の扉の上に記された番号を数えながら、足を運んでゆくと、純白なリンネルの上衣を着た給仕が前方からやってきた。
「百二十八号室をお尋ねでいらっしゃいますか」男は小腰を屈めながらいった。
「左様《そう》です。そこへ連れて行って下さい」
「ハイ、畏《かしこま》りました。どうぞ此方へいらしって下さい」男は先に立って、とある部屋の前まで来ると、
「ここでございます」といって
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