ク旅館の給仕と称する男から電話がかかった事から、見知らぬ男のために手足を縛られ、その上、猿轡まではめられて、五階の一室に監禁されたまでの一|什《ぶ》始終を語った。
「それで私はどうなる事かと思ってじっと目を閉じているうちに、外はすっかり夜になり、段々お腹は空《へ》ってくるし。たまらなくなったのです。どうかして手首の自由を得ようと頻りに※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》いて居りますと、誰かが鍵をガチャガチャやって部屋へ入って来ました。それが林小父さんだったのです。真実《ほんと》に私はどんなに嬉しかったでしょう。小父さんは手早く縄を解いて私を戸外へ連出して下さいました。私共が表へ出ると、誰かが追かけて来るようでしたが、幸い旅館の前にタクシーが止って居りましたので、自動車を急がせてから、少し前に家に戻ったところです」
 坂口は胸を躍らせながらビアトレスの話を聞き終ると、やがて気が附いたように、
「伯父は何処へ行きました」と四辺を見廻しながらいった。
「私達は家へ帰りましたが、女中の話で母さんが心配して外出なすったきり、未だ帰っていらっしゃらない事を知りました。何処へいらしったのかと思って、先ず何という事なしに、二階のお部屋へ行って見ますと、脱ぎ捨てた着物の間から例の不思議な手紙を見付たのです。場合が場合だったので、思切って開けて読んだのです。それは或男から来た強迫状で、今夜の九時に五百|磅《ポンド》の金を持ってパラメントヒルへ来なければ、貴女の秘密を公にする計りでなく、娘の生命を奪ってしまうというような事が記してありました。私は喫驚して林小父さんにそれを見せますと、小父さんは顔色を変えて、母さんを救う為にたった今、家をお出になったのです」
 坂口はそれを聞くと突如、手に持っていた帽子を被って戸口へ歩みかけた。
「今から直ぐ私も行ってきます。伯父に万一の事でもあると大変です」
「ああ、貴郎がいらっしゃれば、母さんも、小父さんも、どんなにお気が強いでしょう。九時といえば既《も》う十分しか間がありません。すぐいらしって下さい」
 坂口はビアトレスの言葉を後に聞流して玄関を出た。自動車は全速力でハムステッドへ向った。
 坂口は暗い車の中で、何を考える余裕もなく、行先計り急いでいた。そのうち彼の乗った自動車は地下鉄道の停車場前を過ぎて、公園の入口に停った。坂口は
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