そこでタクシーを帰して、木立の間についている小径へ入っていった。
 時計は九時を十五分程過ぎている。昼間の天気とは違って、空はすっかり曇っていた。湿気《しめりけ》を持った夜風がしっとりと公園に立|罩《こ》めていた。
 坂口は爪先上りの小径を上って、目指すパラメントヒルの土手へ出ようとした時、たちまち身辺に凄まじい銃声が起った。それと同時にバタバタと入交った靴音が聞えた。坂口は思わず芝草の上に立|竦《すく》んだが、靴音を忍ばせて物音の起った方向へ進寄った。
 靴音はいつの間にか消えて了った。
 闇の中を透すと、つい十数間先を、密《ひそか》に歩いて行く人影を見つけた。それより少し向うに二三の立木があった。男は中折帽子を冠って、右手に杖を持っていた。彼は立木の蔭でフト足を停めた。
 見ると男の足下に長々と真黒な人影が横わっている。中折帽子を冠った男は、紛れもない伯父の姿であった。

        五

 坂口は霎時の間、闇の中に棒立になっていたが、次の瞬間に伯父は、北に向って走っている小径を、周章《あわただ》しく歩去った。坂口はフト我に返ると、その辺にまごまごしているのは危険であると感じてきた。共同椅子《ベンチ》の前に倒れている人間を見究めないのは、如何にも残念であるが、それは婦人でない事だけは夜目にも慥かに判っていた。
「何だって伯父はこんな思切った事をやったのであろうか。エリスさんはどうしたろう。先刻人の馳けてゆく靴音が聞えたが、あの時の音がエリスさんであったかも知れない」
 坂口は丘を馳下りるなり、道路のない雑木林の間を抜けて、一直線に公園の外へ出ようとした。一刻も早く人通りのある往来へ出て了おうと焦りながら、針金を亙《わた》した低い柵を越えて、ようやく池の傍《わき》へ出た。
 と見ると、十数間先の四角になった小径を横切って、バラバラと馳けて行った女があった。姿はたちまち見えなくなったが、縁のある大きな帽子を被った女であった。
 坂口は地下鉄道の停車場傍まで来ると、其前から市街自動車に乗って、ベースウオーター街の家へ帰った。
 伯父は未だ戻っていなかった。それで直にコックス家を訪ねた。女中はとうに、自分の部屋へ引退って了って扉を開けてくれたのはビアトレスであった。
 居間ではエリスが手巾《ハンカチ》を眼にあてて、深い椅子に腰を下ろしたまま、じっと首垂《うなだ》れて
前へ 次へ
全25ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
松本 泰 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング