「惑へりと自ら知りて」とその心中まで明瞭に見抜きたるもあるべき事ならず。されど場合によりては小説家が小説を叙する如く、秘密なる事実は勿論、その心中までも見抜きて歌に詠む事全くなきにあらねどそは至難のわざなり。この歌の如く「すてゝかへりぬ」と結びては歴史的即ち雑報的の結末となりて美文的即ち和歌的の結末とはならず。つまりこの歌は雑報記者が雑報を書きたる如き者にして少しも感情の現れたる処なし。これでは先づ歌の資格を持たぬ歌ともいふべきか。釘をすてて帰るなどいふ事も随分変的な想像なれど一々に論ぜんはうるさければ省く事とすべし。妄評々々死罪々々。[#地から2字上げ](四月三日)

 春雨の朝からシヨボシヨボと降る日は誠に静かで小淋《こさび》しいやうで閑談に適して居るから、かういふ日に傘さして袖濡らしてわざわざ話しに来たといふ遠来の友があると嬉しからうがさういふ事は今まであつた事がない。今日も雨が降るので人は来ず仰向《あおむけ》になつてぼんやりと天井を見てゐると、張子《はりこ》の亀もぶら下つてゐる、芒《すすき》の穂の木兎《みみずく》もぶら下つてゐる、駝鳥《だちょう》の卵の黒いのもぶら下つてゐる、ぐ
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