格を主として不規律に流るるを許さず。紫影《しえい》の文章俳句常に滑稽趣味を離れず。この人また甚《はなは》だまじめの方にて、大口をあけて笑ふ事すら余り見うけたる事なし。これを思ふに真の滑稽は真面目なる人にして始めて為《な》し能《あた》ふ者にやあるべき。古《いにしえ》の蜀山《しょくさん》一九《いっく》は果して如何《いか》なる人なりしか知らず。俳句界第一の滑稽家として世に知られたる一茶《いっさ》は必ずまじめくさりたる人にてありしなるべし。[#地から2字上げ](一月三十日)
人の希望は初め漠然として大きく後|漸《ようや》く小さく確実になるならひなり。我|病牀《びょうしょう》における希望は初めより極めて小さく、遠く歩行《ある》き得ずともよし、庭の内だに歩行き得ばといひしは四、五年前の事なり。その後一、二年を経て、歩行き得ずとも立つ事を得ば嬉《うれ》しからん、と思ひしだに余りに小さき望《のぞみ》かなと人にも言ひて笑ひしが一昨年の夏よりは、立つ事は望まず坐るばかりは病の神も許されたきものぞ、などかこつほどになりぬ。しかも希望の縮小はなほここに止まらず。坐る事はともあれせめては一時間なりとも苦痛な
前へ
次へ
全196ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング