事なれど、幾年経てもこの泥棒的境涯を脱し得ざる人あり。気の毒の事なり。[#地から2字上げ](三月十三日)

 今日は病室の掃除だといふので昼飯後|寐牀《ねどこ》を座敷の方へ移された。この二、三日は右向になつての仕事が過ぎたためでもあるか漸《ようや》く減じて居た局部の痛《いたみ》がまた少し増して来たので、座敷へ移つてからは左向に寐て痛所をいたはつて居た。いつもガラス障子の室に居たから紙障子に松の影が写つて居るのも趣が変つて初めは面白かつたが、遂にはそれも眼に入らぬやうになつてただ痛ばかりがチクチクと感ぜられる。いくら馴《な》れて見ても痛むのはやはり痛いので閉口して居ると、六つになる隣《となり》の女の子が画いたといふ画《え》を内の者が持つて来て見せた。見ると一尺ばかりの洋紙の小切《こぎれ》に墨で画いてある。真中に支那風の城門(勿論輪郭ばかり)を力ある線にて真直に画いて城楼《じょうろう》の棟には鳥が一羽とまつて居る。この城門の粉本《ふんぽん》は錦絵にあつたかも知らぬが、その城楼の窓の処を横に三分して「オ、シ、ロ」の三字が一区劃に一字づつ書いてあるのは新奇の意匠に違ひない。実に奇想だ。それから
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