」、第3水準1−93−66]列《なにこそありけれ》弓削人八《ゆげびとは》田乎婆雖作《たをばつくれど》弓八不削《ゆみはけずらず》
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 これらの歌多くは事に逢ふて率爾《そつじ》に作りし者なるべく文字の排列《はいれつ》などには注意せざりしがために歌としては善きも悪きもあれどとにかく天真爛漫《てんしんらんまん》なる処に元義の人物性情は躍如《やくじょ》としてあらはれ居るを見る。[#地から2字上げ](二月二十三日)

 羽生《はにゅう》某の記する所に拠《よ》るに元義は岡山藩中老池田|勘解由《かげゆ》の臣《しん》平尾新兵衛|長治《ながはる》の子、壮年にして沖津氏の厄介人《やっかいにん》(家の子)となりて沖津新吉直義(退去の際元義と改む)と名のりまた源猫彦と号したり。弘化《こうか》四年四月三十一日(卅日の誤か)藩籍を脱して(この時年卅六、七)四方に流寓《りゅうぐう》し後|遂《つい》に上道《じょうとう》郡|大多羅《おおたら》村の路傍《ろぼう》に倒死せり。こは明治五、六年の事にして六十五、六歳なりきといふ。
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格堂《かくどう》の写し置ける元義の歌を見るに皆|天
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