一の歌人としての平賀元義には非《あらざ》りき。幸にして備前|児島《こじま》に赤木格堂《あかぎかくどう》あり。元義かつてその地某家に寄寓せし縁故を以て元義の歌の散逸せる者を集めて一巻となしその真筆《しんぴつ》十数枚とかの羽生某の文をも併《あわ》せて余に示す。是《ここ》において余は始めて平賀元義の名を知ると共にその歌の万葉調なるを見て一たびは驚き一たびは怪しみぬ。けだし余は幾多の歌集を見、幾多の歌人につきて研究したる結果、真箇《しんこ》の万葉崇拝者をただ一人だに見出だす能はざるに失望し、歌人のふがひなく無見識なるは殆《ほとん》ど罵詈《ばり》にも値せずと見くびり居る時に当りて始めて平賀元義の歌を得たるを以て余はむしろ不思議の感を起したるなり。まぬけのそろひともいふべき歌人らの中に万葉の趣味を解する者は半人もなきはずなるにそも元義は何に感じてかかく万葉には接近したる。ここ殆ど解すべからず。[#地から2字上げ](二月十五日)

 元義の歌は醇乎《じゅんこ》たる万葉調なり。故に『古今集』以後の歌の如き理窟と修飾との厭ふべき者を見ず。また実事実景に非《あらざ》れば歌に詠みし事なし。故にその歌|真摯《
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