ごう》も万葉調の歌を作らんとはせざりしなり。この間においてただ一人の平賀元義なる者出でて万葉調の歌を作りしはむしろ不思議には非《あらざ》るか。彼に万葉調の歌を作れと教へし先輩あるに非ず、彼の万葉調の歌を歓迎したる後進あるに非ず、しかも彼は卓然《たくぜん》として世俗の外に立ち独り喜んで万葉調の歌を作り少しも他を顧《かえりみ》ざりしはけだし心に大《おおい》に信ずる所なくんばあらざるなり。[#地から2字上げ](二月十四日)
天下の歌人|挙《こぞ》つて古今調《こきんちょう》を学ぶ、元義笑つて顧《かえりみ》ざるなり。天下の歌人挙つて『新古今』を崇拝す、元義笑つて顧ざるなり。而して元義独り万葉を宗《むね》とす、天下の歌人笑つて顧ざるなり。かくの如くして元義の名はその万葉調の歌と共に当時衆愚の嘲笑の裏《うち》に葬られ今は全く世人に忘られ了らんとす。
忘られ了らんとする時、平賀元義なる名は昨年の夏|羽生《はにゅう》某によりて岡山の新聞紙上に現されぬ、しかれどもこの時世に紹介せられしは「恋の平賀元義」なる題号の下に奇矯《ききょう》なる歌人、潔癖ある国学者、恋の奴隷としての平賀元義にして、万葉以来唯
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