傍《かたわら》は海にして船舶を多く画《えが》けり。こは海岸寺といふ名より想像して画きたりと思はるれど、その実この寺は海浜より十里余も隔りたる山の奥の奥にあるなり。寺の称をかくいふ故は此処《ここ》を詠《よ》みし歌に、松の風を波の音と聞きまがへて海辺にある思ひす、といふやうなる意の歌あるに因《よ》るとか聞きたれど歌は忘れたり。
この寺の建築は小き者なれど此処の地形は深山の中にありてあるいは千仞《せんじん》の危巌《きがん》突兀《とっこつ》として奈落を踏《ふ》み九天を支ふるが如きもあり、あるいは絶壁、屏風《びょうぶ》なす立ちつづきて一水|潺々《せんせん》と流るる処もあり、とにかくこの辺無双の奇勝として好事家《こうずか》の杖を曳《ひ》く者少からず。[#地から2字上げ](二月十日)
朝起きて見れば一面の銀世界、雪はふりやみたれど空はなほ曇れり。余もおくれじと高等中学の運動場に至れば早く已に集まりし人々、各級各組そこここに打ち群れて思ひ思ひの旗、フラフを翻《ひるがえ》し、祝憲法発布、帝国万歳など書きたる中に、紅白の吹き流しを北風になびかせたるは殊《こと》にきはだちていさましくぞ見えたる。二重橋
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