の外に鳳輦《ほうれん》を拝みて万歳を三呼したる後余は復《また》学校の行列に加はらず、芝の某《なにがし》の館《やかた》の園遊会に参らんとて行く途にて得たるは『日本』第一号なり。その附録にしたる憲法の表紙に三種の神器を画きたるは、今より見ればこそ幼稚ともいへ、その時はいと面白しと思へり。それより余は館に行きて仮店《かりみせ》太神楽《だいかぐら》などの催しに興の尽くる時もなく夜《よ》深《ふ》けて泥の氷りたる上を踏みつつ帰りしは十二年前の二月十一日の事なりき。十二年の歳月は甚《はなは》だ短きにもあらず『日本』はいよいよ健全にして我は空しく足なへとぞなりける。その時生れ出でたる憲法は果して能《よ》く歩行し得るや否や。[#地から2字上げ](二月十一日)
『日本』へ俳句寄稿に相成候《あいなりそうろう》諸君へ申上候《もうしあげそうろう》。筆硯《ひっけん》益※[#二の字点、1−2−22]|御清適《ごせいてき》の結果として小生の枕辺《ちんぺん》に玉稿《ぎょっこう》の山を築きこの冬も大約一万句に達し候《そうろう》事《こと》誠に御出精《ごしゅっせい》の次第とかつ喜びかつ賀《が》し奉《たてまつ》り候。しかると
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