うな事を書いてあつたと思ふ。余の考では美の判断は二人ぎめでも三人ぎめでもない、やはり独りぎめより外はない、ただ独りぎめに善いのと悪いのといろいろある。[#地から2字上げ](六月十九日)
『俳星』に虚明《きょめい》の「お水取」といふ文があつて奈良の二月堂の水取の事が細《くわ》しく書いてある。余はこれを読んでうれしくてたまらぬ。京阪地方にはこのやうな儀式や祭が沢山にあるのだから京阪の人は今の内になるべく細しくその様を写して見せてもらひたい。その地の人は見馴れて面白くもなからうがまだ見ぬ者にはそれがどれほど面白いか知れぬ。殊に箇様《かよう》な事は年々すたれて行くから今写して置いた文は後にはその地の人にも珍しくなるであらう。京都の壬生《みぶ》念仏や牛祭の記は見た事もあるがそれも我々の如き実地見ぬ者にはまだ分らぬことが多い。葵祭《あおいまつり》祇園祭《ぎおんまつり》などは陳腐な故でもあらうがかへつて細しく書いた者を見ぬ。大阪にも十日夷《とおかえびす》、住吉の田植などいふ事がある。奈良に薪能《たきぎのう》が今でもあるなら是非見て来て書いてもらひたい。御忌《ぎょき》、御影供《みえいく》、十夜《じゅ
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