きていまだ研究する所あらざれども恐らくは「新年」の行事ばかりは新暦を用ゐる者全国中その過半に居るべしと信じこれを冬の部に附けたり。その他は旧|歳時記《さいじき》の定むる所に従へり。但こは類別上の便宜をいふ者なれば実地の作句はその時の情況によりて作るべく、四季の名目などにかかはるべきに非ず。[#地から2字上げ](五月二十五日)
『近古名流|手蹟《しゅせき》』を見ると昔の人は皆むつかしい手紙を書いたもので今の人には甚だ読みにくいが、これは時代の変遷で自《おのずか》らかうなつたのであらう。今の人の手紙でも二、三百年後に『近古名流手蹟』となつて出た時にはその時の人はむつかしがつて得読まぬかも知れぬ。それからもう一時代後の事を想像して明治百年頃の名家の手紙が『近古名流手蹟』となつて出たらどんな者であらうか。その手紙といふ者は恐らくは片仮名平仮名|羅馬《ローマ》字などのごたごたと混雑した者でとても今日の我々には読めぬやうな書きやうであらうと思はれる。[#地から2字上げ](五月二十六日)
羽後《うご》能代《のしろ》の方公《ほうこう》手紙をよこしてその中にいふ、
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御著『俳
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