刈りて後その畑を打ち返して水田となす事はあれどそは夏にして春にあらず、それ故関西の者には春季に田を打つといふ事かへつて合点《がてん》行かず、何とはなしに畑打と思ひ誤りたる者ならん。されど古来誤り詠みたる畑打の句を見また我々が今まで畑打と詠み来りたる心を思ふに、固《もと》より田と畑とを判然と区別して詠めるにもあらず、ただ厳寒の候も過ぎ春暖くなるにつれて百姓どもの野らに出て男も女も鍬《くわ》ふりあぐる様ののどかさを春のものと見たるに過ぎず。さはれ左千夫の実験談は参考の材料として聞き置くべき値《あたい》あり。[#地から2字上げ](四月十四日)
ガラス玉に金魚を十ばかり入れて机の上に置いてある。余は痛《いたみ》をこらへながら病床からつくづくと見て居る。痛い事も痛いが綺麗《きれい》な事も綺麗ぢや。[#地から2字上げ](四月十五日)
筋《すじ》の痛を怺《こら》へて臥し居れば昼静かなる根岸の日の永さ
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パン売の太鼓も鳴らず日の永き
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上野は花盛《はなざかり》学校の運動会は日ごと絶えざるこの頃の庵《いお》の眺《ながめ》
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松
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