て文士の墓へひつついてしまふ。
第四枚は、大宴会の場で、正面の高い処に立つて居るのが川上音二郎五代の後胤である。彼は次の如く演説する、このたび「明治文士」といふ演劇大入に付《つき》当世の文士諸君を招いて聊《いささ》か粗酒を呈するのである、明治文士の困難は即ち諸君の幸福と化したのである、明治文士の灑《そそ》いだる血は今諸君|杯中《はいちゅう》の葡萄酒《ぶどうしゅ》と変じたのである、明治文士は飯の食へぬ者ときまつて居たが、今は飯の食へぬ者は文士になれといふほどになつた、明治文士は原稿を抱いて餓死した者だが今は文士保護会へ持つて行けばどんな原稿も価《あたい》よく買ふてくれる、それがために原稿の価が騰貴して原稿取引所で相場をやるまでになつた、云々。拍手|喝采《かっさい》堂に満ちて俳優万歳、文士万歳を連呼する。[#地から2字上げ](四月十二日)
美しき花もその名を知らずして文にも書きがたきはいと口惜し。甘くもあらぬ駄菓子の類にも名物めきたる名のつきたらむは味のまさる心地こそすれ。[#地から2字上げ](四月十三日)
左千夫いふ、俳句に畑打《はたうち》といふ題が春の季になり居る事心得ず、畑
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