また川辺には適当な空地があるからでもある。そこに毛氈《もうせん》や毛布を敷いて坐り場所とする、敷物が足らぬ時には重箱などを包んである風呂敷をひろげてその上に坐る。石ころの上に坐つて尻が痛かつたり、足の甲を茅針《つばな》につつかれたりするのも興がある。ここを本陣として置いて食時《しょくじ》ならば皆ここに集まつて食ふ、それには皆弁当を開いてどれでも食ふので固《もと》より彼我《ひが》の別はない。茶は川水を汲《く》んで来て石の竈《かまど》に薬鑵《やかん》掛けて沸かすので、食ひ尽した重箱などはやはりその川水できれいに洗ふてしまふ。大きな砂川で水が清くて浅くて岸が低いと来て居るから重宝で清潔でそれで危険がない。実にうまく出来て居る。食事がすめばサア鬼ごとといふので子供などは頬《ほお》ぺたの飯粒も取りあへず一度に立つて行く。女子供は普通に鬼事《おにごと》か摘草《つみくさ》かをやる。それで夕刻まで遊んで帰るのである。余の親類がこぞつて行く時はいつでも三十人以上で、子供がその半《なかば》を占めて居るからにぎやかな事は非常だ。一度先生につれられて詩会をかういふ芝生で開いた事もあつた。誠に閑静でよかつた。し
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