おか》し。
雑誌『太陽』の陽の字のつくり時に易《えき》に从《したが》ふものあり。そんな字は字引になし。[#地から2字上げ](二月二十七日)
『日本』へ寄せらるる俳句を見るに地方々々にて俳句の調にもその他の事にも多少の特色あり、従つて同地方の人は万事をかしきほどに似よりたる者あり。同一の俳句または最も善く似たる俳句が同地方の人二人の稿に殆ど同時に見出ださるる事などしばしばあれど、この場合にはいづれを原作としいづれを剽窃《ひょうせつ》とせんか、ほとほと定めかねて打ち捨つるを常とす。総じてその地方の俳句会|盛《さかん》なる時はその会員の句皆面白く俳句会衰ふる時はあるだけの会員|悉《ことごと》く下手になる事不思議なるほどなり。
句風以外の特色をいはんか、鳥取の俳人は皆|四方太《しほうだ》流の書体|巧《たくみ》なるに反して、取手《とりで》(下総《しもうさ》)辺の俳人はきたなき読みにくき字を書けり。出雲《いずも》の人は無暗《むやみ》に多く作る癖ありて、京都の人の投書は四、五十句より多からず。大阪の人の用紙には大阪紙と称《とな》ふるきめ粗き紙多く、能代《のしろ》(羽後《うご》)の人は必ず馬鹿に光沢多き紙を用ゐる。越中の人に限りて皆半紙を二つ切にしたるを二つに折りて小く句を書くなり。はがきに二句か三句認めあるはいづれの地方に限らず初心なる人の必ずする事なり。[#地から2字上げ](二月二十八日)
黄塔《こうとう》まだ世にありし頃余が書ける漢字の画《かく》の誤《あやまり》を正しくれし事あり。それより後よりより余も注意して字引をしらべ見るに余らの書ける楷書《かいしょ》は大半誤れる事を知りたれば左に一つ二つ誤りやすき字を記して世の誤を同じくする人に示す。
菫謹勤[#「菫謹勤」に白丸傍点]などの終りの横画は三本なり。二本に書くは非なり。活字にもこの頃二本の者を拵《こしら》へたり。
達[#「達」に白丸傍点]の字の下の処の横画も三本なり、二本に非ず。
切[#「切」に白丸傍点]の字の扁《へん》は七なり。土扁に書く人多し。
助[#「助」に白丸傍点]の字の扁は且なり。目扁に書く人多し。
※[#「麾−毛」、42−8]※[#「麾」の「毛」に代えて「手」」、42−8]※[#「麾」の「毛」に代えて「石」」、42−8]※[#「麾」の「毛」に代えて「鬼」」、42−8][#「※[#「麾−毛」、4
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