模様の意匠の如き、いよいよ出でていよいよ奇に、滾々《こんこん》としてその趣向の尽《つ》きざるを見て、素人も玄人《くろうと》も舌を捲《ま》いて驚かざるはなし。
 君の犬百題などを画くや、意匠に変化多く、材料の豊富なるは言ふまでもなけれど、中にも歴史上の事実多きを見て、世人は余らの窃《ひそ》かに材料を供給するに非《あらざ》るかを疑へり。しかしこは誤りたる推測なり。余は毫も君に材料を与へざるのみかかへつて君の説明によりて歴史上の事実を教へられし事少からず。とはいへ君は決して博学の人にあらず、読書の分量は余り多からざるを信ず。而して此《かく》の如く多方面にわたりて材料を得る者は平素万事に対して注意の深きに因《よ》らずばあらず。君の如く注意の綿密にしてかつ範囲の広きはけだし稀なり。
 画く者は論ぜず、論ずる者は画かず。君の如く画家にしてかつ論客なるは世に少し。もし不折君の説を聞かんと欲せば一たび君を藤寺《ふじでら》横丁の画室に訪へ。質問いまだ終らざるに早く既に不折君の滔々《とうとう》として弁じ初むるを見ん、もし傍より妨げざる限りは君の答弁は一時間も二時間も続くべく、しかもその言ふ所条理|井然《せいぜん》として乱れず、実例ある者は実例(絵画の類)につきて一々に指示す。通例画家が言ふ所の漠然として要領を得ざるの比に非ず。余が君のために教へられて何となく悟りたるやうに思ふも畢竟《ひっきょう》君の教へやうのうまきに因る。[#地から2字上げ](六月二十七日)

 各自専門の学芸技術に熱心なる人は少くもあらねど不折君の画におけるほど熱心なるは少かるべし。いつ逢ふてもいつまで語つてもいやしくも人に逢ひてこれと語らば終始画談をなして倦《う》まず、筆あらば直に筆を取つて戯画を画きあるいは説明のために種々の画をかく。時を嫌はず処を択ばず宴会の席にても衆人の中にても人は酒を飲み妓《ぎ》をひやかしつつある際にても不折君は独り画を画き画を談ず。その熱心実に感ずるに余《あまり》ありといへどももし一般の人より見れば余り熱心過ぎてかへつてうるさしと思はるる所多からん。しかれども不折君はそれほど人にうるさがらるるとは知らであるべし。これ君の聾《ろう》なるがためのみ。
 君が勉強は信州人の特性に出づ、されど信州人といへども君の如く勉強するは多からざるべし。君は自分のためにも勉強し人に頼まれても勉強す。一枚|方《
前へ 次へ
全98ページ中93ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング