たゝび逢はんわれならなくに
いちはつの花咲きいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす
病む我をなぐさめがほに開きたる牡丹の花を見れば悲しも
世の中は常なきものと我|愛《め》づる山吹の花散りにけるかも
別れ行く春のかたみと藤波の花の長ふさ絵にかけるかも
夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ我いのちかも
くれなゐの薔薇ふゝみぬ我病いやまさるべき時のしるしに
薩摩下駄《さつまげた》足にとりはき杖つきて萩の芽摘みし昔おもほゆ
若松の芽だちの緑長き日を夕かたまけて熱いでにけり
いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種を蒔《ま》かしむ
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 心弱くとこそ人の見るらめ。[#地から2字上げ](五月四日)

 岩手の孝子《こうし》何がし母を車に載せ自ら引きて二百里の道を東京まで上り東京見物を母にさせけるとなん。事新聞に出でて今の美談となす。
[#ここから2字下げ]
たらちねの母の車をとりひかひ千里も行かん岩手の子あはれ
草枕《くさまくら》旅行くきはみさへの神のいそひ守らさん孝子の車
みちのくの岩手の孝子名もなけど名のある人に豈《あに》劣らめや
下り行く末の世にしてみちのくに孝の子ありと聞けばともしも
世の中のきたなき道はみちのくの岩手の関を越えずありきや
春雨はいたくなふりそみちのくの孝子の車引きがてぬかも
みちのくの岩手の孝子|文《ふみ》に書き歌にもよみてよろづ代《よ》までに
世の中は悔いてかへらずたらちねのいのちの内に花も見るべく
うちひさす都《みやこ》の花をたらちねと二人し見ればたぬしきろかも
われひとり見てもたぬしき都べの桜の花を親と二人見つ
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ](五月五日)

 新華族新博士の出来るごとに人は、またか、といひて眉を顰《ひそ》むるが多し。こは他人の出世を妬《ねた》む心より生ずる言葉にていとあさまし。余はむしろ新華族新博士の益※[#二の字点、1−2−22]多く愈※[#二の字点、1−2−22]ふえん事を望むなり。されどこれも裏側より見たる嫉妬心といはばいふべし。
 博士もお盃《さかずき》の巡り来るが如く来るものとすれば俗世間にて自分より頭の上にある先輩の数を数へて順番の来るを待つべきなり。雪嶺《せつれい》先生なども今頃お盃を廻されては「辞するほどの価値もない」とでも言はねばなるまじ。しかし新博士には博士号を余り有難
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