ればこの句も無論《むろん》寺の内で僧の念仏し居る様には非るべし。
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此村に長生多き岡見かな
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「老人が沢山来て岡見をしてゐる」のではなく老人の多い目出たい村を岡見してゐる事ならん。
 附けていふ、碧梧桐《へきごとう》近時|召波《しょうは》の句を読んで三歎す。余もいまだ十分の研究を得ざれども召波の句の趣向と言葉と共にはたらき居る事|太祇《たいぎ》蕪村《ぶそん》几董《きとう》にも勝るかと思ふ。太祇蕪村一派の諸家その造詣《ぞうけい》の深さ測るべからざる者あり。暁台《きょうたい》闌更《らんこう》白雄《しらお》らの句|遂《つい》に児戯《じぎ》のみ。[#地から2字上げ](五月二日)

 ある人いふ勲位《くんい》官名の肩書をふりまはして何々養生法などいふ杜撰《ずさん》の説をなし世人を毒するは医界の罪人といはざるべからず、世には山師《やまし》流の医者も多けれどただ金まうけのためとばかりにてその方法の無効無害なるはなほ恕《じょ》すべし、日本人は牛肉を食ふに及ばずなど言ふ牽強附会《けんきょうふかい》の説をつくりちよつと旧弊家|丁髷《ちょんまげ》連を籠絡《ろうらく》し、蜜柑《みかん》は袋共に食へとか、芋の養分は中よりも外皮に多しとか、途方《とほう》もなき養生法をとなへて人の腸胃を害すること驚き入つたる次第なり、故|幽谷《ゆうこく》翁なども一時この説に惑ひて死期を早められたりと聞けり、とにかく勲位官名あるために惑はさるる人も多きにやあらん。世人は薬剤官を医者の如く思ふ人あれど薬剤官は医者に非ず、かつその薬剤官の名さへ十分の資格もなくて恩恵的にもらひたるもありといへばあてにはならぬ事なり云々。
 先頃手紙してこの養生法を余に勧めたる人あり。その時引札やうのものをも共に贈られたり。養生法の引札すら既に変てこなるに、その上に引札の末半分は三十一文字に並べられたる養生法の訓示を以て埋められたるを見ていよいよ山師流のやり方なる事を看破《かんぱ》せり。世の中に道徳の歌、教育の歌、あるいはこの養生法の歌の如き者多くあれどかかる歌など作る者に真の道徳家、真の教育家、真の医師ありし例なき事なり。今ある人の説を聞いて余の推測の違はざるを知れり。[#地から2字上げ](五月三日)

 しひて筆を取りて
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佐保神《さほがみ》の別れかなしも来ん春にふ
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