の次に
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吾《わが》孫|興邦《おきくに》はなほ乳臭《ちのか》机心《つくえごころ》失せず。かつ武芸を好める本性なれば恁《かか》る幇助《たすけ》になるべくもあらず。他《かれ》が母は人並ににじり書もすれば教へて代写させばやとやうやうに思ひかへしつ、第百七十七回の中|音音《おとね》が大茂林浜《おおもりはま》にて再生の段より代筆させて一字ごとに字を教へ一句ごとに仮名使《かなづかい》を誨《おしゆ》るに、婦人は普通の俗字だも知るは稀《まれ》にて漢字《からもじ》雅言《がげん》を知らず仮名使てにをはだにも弁《わきま》へず扁《へん》旁《つくり》すらこころ得ざるに、ただ言語《ことば》をのみもて教へて写《かか》するわが苦心はいふべうもあらず。況《まい》て教《おしえ》を承《うけ》て写《か》く者は夢路を辿《たど》る心地して困じて果はうち泣くめり云々
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など書ける、この文昔はただ余所《よそ》のあはれとのみ見しが今は一々身にしみて我上《わがうえ》の事となり了んぬ。されど馬琴は年老い功成り今まさに『八犬伝』の完結を急ぎつつあるなり。我身のいまだ発端をも書きあへず早く已《すで》に大団円に近づかんとすると固《もと》より同日に論ずべくもあらず。[#地から2字上げ](二月二日)

○伊藤圭助歿す九十余歳。英国女皇|崩《ほう》ず八十余歳。李鴻章《りこうしょう》逝く七十余歳。
○星亨《ほしとおる》訴へられ、鳩山和夫《はとやまかずお》訴へられ、島田三郎《しまださぶろう》訴へらる。
○朝汐《あさしお》負け、荒岩《あらいわ》負け、源氏山《げんじやま》負く。
○神田の歳《とし》の市に死傷あり。大阪の十日夷《とおかえびす》に死傷あり。大学第二医院の火事に死傷あり。
○背痛み、臀《しり》痛み、横腹痛む。[#地から2字上げ](二月三日)

 節分に豆を撒《ま》くは今もする人あれどそれすら大方はすたれたり。ましてそのほかの事はいふもおろかなり。我郷里(伊予)にて幼き時に見覚えたる様はなほをかしき事多かり。その日になれば男女《なんにょ》の乞食《こじき》ども、女はお多福《たふく》の面を被《かぶ》り、男は顔手足|総《すべ》て真赤に塗り額に縄の角を結び手には竹のささらを持ちて鬼にいでたちたり。お多福先づ屋敷の門《かど》の内に入り、手に持てる升《ます》の豆を撒くまねしながら、御繁昌様《ごはん
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