じょうさま》には福は内鬼は外、といふ。この時鬼は門外にありてささらにて地を打ち、鬼にもくれねば這入《はい》らうか、と叫ぶ。そのいでたちの異様なるにその声さへ荒々しければ子供心にひたすら恐ろしく、もし門の内に這入り来《き》なばいかがはせんと思ひ惑へりし事今も記憶に残れり。鬼外にありてかくおびやかす時、お多福内より、福が一しよにもろてやろ、といふ。かくして彼らは餅、米、銭など貰《もら》ひ歩行《ある》くなり。やがてその日も夕《ゆうべ》になれば主人は肩衣《かたぎぬ》を掛け豆の入りたる升を持ち、先づ恵方《えほう》に向きて豆を撒き、福は内鬼は外と呼ぶ。それより四方に向ひ豆を撒き福は内を呼ぶ。これと同時に厨《くりや》にては田楽《でんがく》を焼き初む。味噌の臭《におい》に鬼は逃ぐとぞいふなる。撒きたる豆はそを蒲団《ふとん》の下に敷きて寐《いぬ》れば腫物出づとて必ず拾ふ事なり。豆を家族の年の数ほど紙に包みてそれを厄払《やくばらい》にやるはいづこも同じ事ならん。たらの木に鰯《いわし》の頭さしたるを戸口々々に挿《はさ》むが多けれど柊《ひいらぎ》ばかりさしたるもなきにあらず。それも今はた行はるるやいかに。[#地から2字上げ](二月四日)

 節分の夜に宝船の絵を敷寐して初夢をうらなふ事我郷里のみならず関西一般に同様なるべし。東京にては一月二日の夜に宝船を売りありくこそ心得ね。しかしこれも古き風俗と見え、『滑稽太平記《こっけいたいへいき》』といふ書《ふみ》に
[#ここから5字下げ]
  回禄以後鹿相成家居に越年して
去年《こぞ》たちて家居もあらた丸太かな       卜養
宝の船も浮ぶ泉水              玄札
[#ここから2字下げ]
この宝の船は種々《くさぐさ》の宝を船に積たる処を画《え》に書《かき》回文《かいぶん》の歌を書添へ元日か二日の夜しき寐して悪《あ》しき夢は川へ流す呪事《まじないごと》なりとぞ、また年越《としこし》の夜も敷《しく》事《こと》ある故に冬季ともいひたり、しかるに二つある物は前の季に用る行年《ゆくとし》をとらんためなればこの理近かるべしといへるもあり、されども玄札老功たり既にする時は如何《いかん》とも春たるべしといふもありけり
[#ここで字下げ終わり]
と記せり。「元日か二日の夜」とあれば昔は二日の夜と限りたるにも非《あらざ》るか。[#地から2字上げ](二月五
前へ 次へ
全98ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング