動しやすき、下腹のへこみやすき青年文士よ、汝《なんじ》の生るる事百年ばかり早過ぎたり、今の世は文士保護論の僅《わず》かに芽出したる時にして文士保護の実の行はるる時にあらず、我汝が原稿を抱いて飯にもありつけぬ窮境を憐《あわれ》んで汝を一刀両断せんとす、汝出直して来れ。
第二枚は、文士の首は前に落ちて居る処で、斬《き》られたる首の跡から白い煙が立つて居る。その煙がまゐらせ候《そろ》といふ字になつて居て、その煙の末に裸体美人がほのかに現はれて居る。神様の剣の尖《さき》からは紫色の血がしたたつてそのしたたりが恋愛文学といふ字になつて居る。
第三枚は、芝居の舞台で、舞台の正面には「嗚呼《ああ》明治文士之墓」といふ石碑が立つて居る。墓のほとりには菫《すみれ》が咲いて居て、墓の前の花筒には白百合の枯れたのが挿《さ》してある。この墓の後から西洋風の幽霊が出て来るので、この幽霊になつた俳優が川上音二郎五代の後胤《こういん》といふのである。さてこの幽霊がここで大《おおい》に文士保護の演説をすると、見物は大喝采《だいかっさい》で、金貨や銀貨を無暗《むやみ》に舞台に向つて投げる、投げた金貨銀貨は皆飛んで往て文士の墓へひつついてしまふ。
第四枚は、大宴会の場で、正面の高い処に立つて居るのが川上音二郎五代の後胤である。彼は次の如く演説する、このたび「明治文士」といふ演劇大入に付《つき》当世の文士諸君を招いて聊《いささ》か粗酒を呈するのである、明治文士の困難は即ち諸君の幸福と化したのである、明治文士の灑《そそ》いだる血は今諸君|杯中《はいちゅう》の葡萄酒《ぶどうしゅ》と変じたのである、明治文士は飯の食へぬ者ときまつて居たが、今は飯の食へぬ者は文士になれといふほどになつた、明治文士は原稿を抱いて餓死した者だが今は文士保護会へ持つて行けばどんな原稿も価《あたい》よく買ふてくれる、それがために原稿の価が騰貴して原稿取引所で相場をやるまでになつた、云々。拍手|喝采《かっさい》堂に満ちて俳優万歳、文士万歳を連呼する。[#地から2字上げ](四月十二日)
美しき花もその名を知らずして文にも書きがたきはいと口惜し。甘くもあらぬ駄菓子の類にも名物めきたる名のつきたらむは味のまさる心地こそすれ。[#地から2字上げ](四月十三日)
左千夫いふ、俳句に畑打《はたうち》といふ題が春の季になり居る事心得ず、畑
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