また川辺には適当な空地があるからでもある。そこに毛氈《もうせん》や毛布を敷いて坐り場所とする、敷物が足らぬ時には重箱などを包んである風呂敷をひろげてその上に坐る。石ころの上に坐つて尻が痛かつたり、足の甲を茅針《つばな》につつかれたりするのも興がある。ここを本陣として置いて食時《しょくじ》ならば皆ここに集まつて食ふ、それには皆弁当を開いてどれでも食ふので固《もと》より彼我《ひが》の別はない。茶は川水を汲《く》んで来て石の竈《かまど》に薬鑵《やかん》掛けて沸かすので、食ひ尽した重箱などはやはりその川水できれいに洗ふてしまふ。大きな砂川で水が清くて浅くて岸が低いと来て居るから重宝で清潔でそれで危険がない。実にうまく出来て居る。食事がすめばサア鬼ごとといふので子供などは頬《ほお》ぺたの飯粒も取りあへず一度に立つて行く。女子供は普通に鬼事《おにごと》か摘草《つみくさ》かをやる。それで夕刻まで遊んで帰るのである。余の親類がこぞつて行く時はいつでも三十人以上で、子供がその半《なかば》を占めて居るからにぎやかな事は非常だ。一度先生につれられて詩会をかういふ芝生で開いた事もあつた。誠に閑静でよかつた。しかし男ばかりの詩会などは特別であつて、普通には女子供の遊びときまつて居る。半日運動して、しかも清らかな空気を吸ふのであるから、年中家に籠《こも》つて居る女にはどれだけ愉快であるか分らぬ。固よりその場所は町の外で、大方半里ばかりの距離の処で、そこら往来の人などには見えぬ処である。歌舞伎座などへ往て悪い空気を吸ふて喜んで居る都の人は夢にも知らぬ事であらう。[#地から2字上げ](四月十日)
虚子《きょし》曰《いわく》、今まで久しく写生の話も聞くし、配合といふ事も耳にせぬではなかつたが、この頃話を聴いてゐる内に始めて配合といふ事に気が附いて、写生の味を解したやうに思はれる。規《き》曰、僕は何年か茶漬を廃してゐるので茶漬に香の物といふ配合を忘れてゐた。[#地から2字上げ](四月十一日)
我試みに「文士保護未来夢」といふ四枚続きの画をかいて見ようか。
第一枚は、青年文士が真青な顔して首うなだれて合掌《がっしょう》して坐つて居る。その後には肩に羽のある神様が天《あめ》の瓊矛《ぬぼこ》とでもいひさうな剣を提《さ》げて立つて居る。神様は次の如く宣告する。汝《なんじ》可憐なる意気地なき、心臓の鼓
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