なり。其人のいふ所を聞けば調古くして今の耳にかなはずといふにあり。我等は調の古きところが大に耳にかなふやうに覺ゆれどそれも人々の感情なればせん方も無き事なり。萬葉を善しといふ人すら猶五七調の歌を善しとして此歌の如きを排するは如何にぞや。尋常俗人の心にては見馴れ聞き馴れたる者を面白く思ひ、見馴れざる聞き馴れざる者を不調和に感ずるなり。極端にいへば俗人は陳腐を好みて新奇を排するの傾向あり。故に古今調の歌に馴れたる耳には萬葉調を不調和に思ひ、輪廓畫に馴れたる目には沒骨畫を不調和に思ふが如き類少からず。然れども多少專門的に事物を研究する人は陳腐を取りて新奇を捨つるの愚を學ぶべきにあらず。新奇なる者に就きて虚心平氣に其調和せりや否やを考へて後に取捨すべきなり。歌を研究する者にして萬葉集を知らざるが如き不心得の者は姑《しばら》く置く。苟も萬葉を研究せんとする人にして一概に五七をのみ歌の調と思ひ三言四言六言等の趣味も變化も知らず、或は歌はいかめしく眞面目なる事をのみ詠むものと思ひて滑稽(萬葉第十六の如き)の歌を知らざるが如きは量見の狹き事なり。若し我をして臆測せしめば諸氏は短歌のみを作りて長歌を作る
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