「カタマ」との兩説あり。ふぐしは篦《へら》の如き道具にて土を掘るものとぞ。籠ふぐしなど持ちて菜を摘み居る少女に向ひ名をのれとのたまふは妻になれとのたまふなり。當時の御代にては斯るむつまじき御事もありけん。
此御歌善きか惡きかと問ふに面白からずといふ人あり。吾は驚きぬ。思ふに諸氏のしかいふは此調が五七調にそろひ居らねばなるべし。若し然らばそは甚だしき誤なり。長歌を五七調に限ると思へるは五七調の多きためなるべけれど五七調以外の此御歌の如きはなか/\に珍しく新しき心地すると共に古雅なる感に打たるゝなり。趣向の上よりいふも初めに籠ふぐしの如き具象的の句を用ゐ、次に其少女にいひかけ、次にまじめに自己御身の上を説き、終に再び其少女にいひかけたる處固よりたくみたる程にはあらで自然に情のあらはるゝ歌の御樣なり。殊に此趣向と此調子と善く調和したるやうに思はる。若し此歌にして普通五七の調にてあらば言葉の飾り過ぎて眞摯の趣を失ひ却て此歌にて見る如き感情は起らぬなるべし。吾は此歌を以て萬葉中有數の作と思ふなり。
此歌には限らず萬葉中の歌を以て單に古歌として歴史的に見る人は多けれど其調を學びて歌に詠む人は稀
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