こ》がいたずらに『万葉』の語句を模して『万葉』の精神を失えるに比すれば、曙覧が語句を摸《も》せずしてかえって『万葉』の精神を伝えたる伎倆は同日に語るべきにあらず。さわれ曙覧は徹頭徹尾『万葉』を擬せんと務めたるに非ず。むしろその思うままを詠みたるが自《おのずか》ら『万葉』に近づきたるなり。しこうして彼の歌の『万葉』に似ざるところははたして『万葉』に優るところなりや否や、こは最《もっとも》大切なる問題なり。
余は断定を下していわん、曙覧の歌想は『万葉』より進みたるところあり、曙覧の歌調は『万葉』に及ばざるところありと。まず歌想につきて論ぜん。[#地付き]〔『日本』明治三十二年三月二十八日〕
歌想に主観的なるものと客観的なるものとあり。『万葉』は主として主観的歌想を述べたるものにして客観的歌想は極めて少かりしが、『古今』以後、客観的歌想の歌、次第にその数を増加するの傾向を見る。
主観的歌想の中にて理屈めきたるはその品卑しく趣味薄くして取るに足らず。『古今』以後の歌には理屈めきたるが多けれど『万葉集』、『曙覧集』にはなし。理屈ならぬ主観的歌想は多く実地より出でたるものにして、古人も今人もさまで感情の変るべきにあらぬに、まして短歌のごとく短くして、複雑なる主観的歌想を現すあたわず、ただ簡単なる想をのみ主とするものは、観察の精細ならざりし古代も観察の精細に赴きし後世も差異はなはだ少きがごとし。ただ時代時代の風俗政治等々しからざるがために材料または題目の上には多少の差異なきにあらず。例えば万葉時代には実地より出でたる恋歌の著しく多きに引きかえ『曙覧集』には恋歌は全くなくして、親を懐《おも》い子を悼み時を歎《なげ》くの歌などがかえって多きがごとし。
曙覧の歌、四《よつ》になる女の子を失いて
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きのふまで吾《わが》衣手《ころもで》にとりすがり父よ父よといひてしものを
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父の十七年忌に
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今も世にいまされざらむよはひにもあらざるものをあはれ親なし
髪しろくなりても親のある人もおほかるものをわれは親なし
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母の三十七年忌に
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はふ児にてわかれまつりし身のうさは面《おも》だに母を知らぬなりけり
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古書を読みて
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真男鹿《まおしか》の肩焼く占《うら》にうらとひて事あきらめし神代をぞ思ふ
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筑紫人《つくしびと》のその国へかえるに
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程すぎて帰らぬ君と夕占《ゆうけ》とひまつらむ妹にとく行《ゆき》て逢へ
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されど女を思うも子を思うも恋い思うとばかり詠む短歌にては、感情の切なるを感ずるほかなければ、いずれにても深き差異あるにあらず。この点におきて『万葉』と曙覧と強いて優劣するを要せず。しこうして客観的歌想に至りては曙覧やや進めり。
四季の題は多く客観的にして、『古今』以後客観的の歌は増加したれど、皆縁語または言語の虚飾を交えて、趣味を深くすることを解せざりしかば、絵画のごとく純客観的なるは極めて少かり。『新古今』は客観的叙述において著《いちじるし》く進歩しこの集の特色を成ししも、以後再び退歩して徳川時代に及ぶ。徳川時代にては俳句まず客観的叙述において空前の進歩をなし、和歌もまたようやくに同じ傾向を現ぜり。されども歌人皆|頑陋《がんろう》褊狭《へんきょう》にして古習を破るあたわず、古人の用い来《きた》りし普通の材料題目の中にてやや変化を試みしのみ。曙覧、徳川時代の最後に出でて、始めて濶眼《かつがん》を開き、なるべく多くの新材料、新題目を取りて歌に入れたる達見は、趣味を千年の昔に求めてこれを目睫《もくしょう》に失したる真淵、景樹を驚かすべく、進取の気ありて進み得ず※[#「走にょう+咨」、第4水準2−89−24]※[#「走にょう+且」、第4水準2−89−22]逡巡《ししょしゅんじゅん》として姑息《こそく》に陥りたる諸平《もろひら》、文雄《ふみお》を圧するに足る。徳川時代の歌人がわずかに客観的趣味を解しながら深くその蘊奥《うんおう》に入るあたわざりしは、第一に「新言語新材料を入るるべからず」という従来の規定を脱却するあたわざりしに因《よ》る。曙覧はまずこの第一の門戸を破りて、歌界改革の一歩を進めたり。
[#地付き]〔『日本』明治三十二年三月三十日〕
曙覧が客観的|景象《けいしょう》を詠ずるは、新材料を入れたることにおいて、新趣味を捉えしことにおいて、『万葉』より一歩を進めたるとともに、新言語新句法を用いしことにおいて、一般歌人よりは自在に言いこなすことを得たり。
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秋田家《あきのでんか》
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※[#「虫+乍」、第4水準2−87−38]※[#「虫+孟」、271−12]《いなごまろ》うるさく出《いで》てとぶ秋のひよりよろこび人豆を打つ
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酉《とり》(詠十二時《じゅうにじをよむ》の内)
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夕貌《ゆうがお》の花しらじらと咲めぐる賤《しず》が伏屋《ふせや》に馬洗ひをり
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松戸《まつのと》にて口よりいづるままに(録二)
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ふくろふの糊《のり》すりおけと呼ぶ声に衣《きぬ》ときはなち妹は夜ふかす
こぼれ糸|※[#「糸+麗」、第4水準2−84−64]《さで》につくりて魚とると二郎《じろう》太郎《たろう》三郎《さぶろう》川に日くらす
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行路雨《こうろのあめ》
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雨ふれば泥|踏《ふみ》なづむ大津道《おおつみち》我に馬ありめさね旅人
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古寺雨《こじのあめ》
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風まじり雨ふる寺の犬ふせぎしぶきのぬれにうつるみあかし
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寒灯
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ともすれば沈《しずむ》灯火《ともしび》かきかきて苧《お》をうむ窓に霰《あられ》うつ声
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砂月涼《さげつすずし》
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そとの浜|千《ち》さとの目路《めじ》に塵《ちり》をなみすずしさ広き砂上《すなのうえ》の月
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薔薇《そうび》
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羽ならす蜂あたたかに見なさるる窓をうづめて咲くさうびかな
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題しらず
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雲ならで通はぬ峰の石陰《いわかげ》に神世のにほひ吐く草花《くさのはな》
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歌会の様よめる中に(録五)
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人麻呂の御像《みかた》のまへに机すゑ灯《ともしび》かかげ御酒《みき》そなへおく
設け題よみてもてくる歌どもを神の御前にならべもてゆく
ことごとく歌よみいでし顔を見てやをら晩食《ゆうげ》の折敷《おしき》ならぶる
汁|食《めせ》とすすめめぐりてとぼしたる火もきえぬべく人|突《つき》あたる
戸をあけて還る人々雪しろくたまれりといひてわびわびぞ行《ゆく》
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初午詣《はつうまもうで》
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稲荷坂見あぐる朱《あけ》の大鳥居ゆり動《うごか》して人のぼり来る
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「設け題」「探り題」「あき米櫃」「饅頭を頬ばる」「笑ひかたりて腹をよる」「畳かず狸のものの広さにて」「二郎太郎三郎」など思うに任せて新語新句をはばかり気もなく使いたるのみならず、「人豆を打つ[#「人豆を打つ」に白丸傍点]」「涼しさ広き[#「涼しさ広き」に白丸傍点]」「窓をうづめてさく薔薇[#「窓をうづめてさく薔薇」に白丸傍点]」などいうがごとく、詩または俳句には用うれど、歌にはいまだ用いざる新句法をも用いたるはその見識の凡《ぼん》ならぬを見るべし。「神代のにほひ吐く草の花」といえる歌は彼の神明的理想を現したるものにて、この種の思想が日本の歌人に乏しかりしは論を竢《ま》たず。(曙覧の理想も常にこの極処に触れしにあらず)一般に天然に対する歌人の観察は極めて皮相的にして花は「におう」と詠み、月は「清し」と詠み、鳥は「啼《な》く」、とのみ詠むのほか、花のうつくしさ、月の清さ、鳥の啼く声をしみじみと身にしめて感じたる後に詠むということなければ、変化のなきのみか、その景象を明瞭《めいりょう》に眼前に浮《うか》ばしむることは絶えてあるなし。曙覧の叙景法を見るにしからず。例えば「赤きもみぢに霜ふりて」「霜の上に冬木の影をうす黒くうつして」と詠めるがごとき、「もみぢ」の上に「赤き」という形容語を冠《かぶ》せ、「影」の下に「うす黒き」という形容語を添えて、ことさらに重複せしめたるは、霜の白さを強く現さんとの工夫なり。その成功はともかくも、その著眼《ちゃくがん》の高きことは争うべからず。
曙覧は擬古の歌も詠み、新様《しんよう》の歌も詠み、慷慨《こうがい》激烈の歌も詠み、和暢平遠《わちょうへいえん》の歌も詠み、家屋の内をも歌に詠み、広野の外をも歌に詠み、高山彦九郎《たかやまひこくろう》をも詠み、御魚屋八兵衛《おさかなやはちべえ》をも詠み、侠家《きょうか》の雪も詠み、妓院《ぎいん》の雪も詠み、蟻《あり》も詠み、虱《しらみ》も詠み、書中の胡蝶《こちょう》も詠み、窓外の鬼神も詠み、饅頭も詠み、杓子《しゃくし》も詠む。見るところ聞くところ触るるところことごとく三十一字中に収めざるなし。曙覧の歌想豊富なるは単調なる『万葉』の及ぶところにあらず。[#地付き]〔『日本』明治三十二年四月九日〕
世に『万葉』を模せんとする者あり、『万葉』に用いし語の外は新らしき語を用いず、『万葉』にありふれたる趣のほかは新しき趣を求めず、かくのごとくにして作り得たる陳腐なる歌を挙げ、自ら万葉調なりという、こは『万葉』の形を模して『万葉』の精神を失えるものなり。『万葉』の作者が歌を作るは用語に制限あるにあらず、趣向に定規あるにあらず、あらゆる語を用いて趣向を詠みたるものすなわち『万葉』なり。曙覧が新言語を用い新趣味を詠じ毫《ごう》も古格旧例に拘泥せざりしは、なかなかに『万葉』の精神を得たるものにして、『古今集』以下の自ら画して小区域に局促《きょくそく》たりしと同日に語るべきにあらず。ただ歌全体の調子において曙覧はついに『万葉』に及ばず、実朝に劣りたり。惜《おし》むべき彼は完全なる歌人たるあたわざりき。
曙覧の歌の調子につきて例を挙げて論ぜんか。前に示したる鉱山の歌のごときは調子ほぼととのいたり、されどこれほどにととのいたるは集中多く見るべからず、ましてこれより勝りたるはほとんどあるなし。
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書中乾胡蝶《しょちゅうのからこちょう》
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からになる蝶には大和魂を招きよすべきすべもあらじかし
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結句字余りのところ『万葉』を学びたれど勢《いきおい》抜けて一首を結ぶに力弱し。『万葉』の「うれむぞこれが生返るべき」などいえるに比すれば句勢に霄壌《しょうじょう》の差あり。
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緇素月見《しそつきをみる》
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樒《しきみ》つみ鷹《たか》すゑ道をかへゆけど見るは一つの野路の月影
[#ここで字下げ終わり]
この歌は『古今』よりも劣りたる調子なり。かくのごとき理屈の歌は「月を見る」というような尋常の句法を用いて結ぶ方よろし。「見るは月影」と有形物をもって結びたるはなかなかに賤《いや》しく厭《いと》わし。
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煙
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あないぶせ銚子《さしなべ》かけてたく藁《わら》のもゆとはなしに煙のみたつ
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「あないぶせ」とかように初《はじめ》に置くこと感情の順序に戻《もと》りて悪し。『万葉』にてはかくいわず。全くこの語を廃するか、しからざれば「煙立ついぶせ」などように終りに置くべし。下二句の言い様も俗なり。
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赤
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賤家《しずがいえ》這入《はいり》せ
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