覧ならざる人の口より出《い》で得べきか否かを考えみよ。陽に清貧を楽《たのし》んで陰に不平を蓄うるかの似而非《えせ》文人が「独楽※[#「口+金」、第3水準1−15−5]」という題目の下にはたして饅頭、焼豆腐の味を思い出だすべきか。彼らは酒の池、肉の林と歌わずんば必ずや麦の飯、藜《あかざ》の羹《あつもの》と歌わん。饅頭、焼豆腐を取ってわざわざこれを三十一文字に綴《つづ》る者、曙覧の安心ありて始めてこれあるべし。あら面白の饅頭、焼豆腐や。
安心の人に誇張あるべからず、平和の詩に虚飾あるべからず。余は更に進んで曙覧に一点の誇張、虚飾なきことを証せん。似而非《えせ》文人は曰く、黄金|百万緡《ひゃくまんびん》は門前のくろ(犬)の糞のごとしと。曙覧は曰く
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たのしみは銭なくなりてわびをるに人の来《きた》りて銭くれし時
たのしみは物をかかせて善《よ》き価|惜《おし》みげもなく人のくれし時
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曙覧は欺かざるなり。彼は銭を糞の如しとは言わず、あどけなくも彼は銭を貰《もら》いし時のうれしさを歌い出だせり。なお正直にも彼は銭を多く貰いし時の思いがけなきうれしさをも白状せり。仙人のごとき仏のごとき子供のごとき神のごとき曙覧は余は理想界においてこれを見る、現実界の人間としてほとんど承認するあたわず。彼の心や無垢《むく》清浄、彼の歌や玲瓏《れいろう》透徹。
貧、かくのごとし、高、かくのごとし。一たびこれに接して畏敬の念を生じたる春岳《しゅんがく》はこれを聘《へい》せんとして侍臣《じしん》をして命《めい》を伝えしめしも曙覧は辞して応ぜざりき。文を売りて米の乏しきを歎《なげ》き、意外の報酬を得て思わず打ち笑みたる彼は、ここに至って名利を見ること門前のくろの糞のごとくなりき。臨むに諸侯の威をもってし招くに春岳の才をもってし、しこうして一曙覧をして破屋|竹笋《ちくしゅん》の間より起《た》たしむるあたわざりしもの何がゆえぞ。謙遜《けんそん》か、傲慢《ごうまん》か、はた彼の国体論は妄《みだり》に仕うるを欲せざりしか。いずれにもせよ彼は依然として饅頭焼豆腐の境涯を離れざりしなり。慶応三年の夏、始めて秩禄《ちつろく》を受くるの人となりしもわずかに二年を経て明治二年の秋(?)彼は神の国に登りぬ。曙覧が古典を究め学問に耽《ふけ》りしことは別に説くを要せず。貧苦の中にありて「机に千文《ちぶみ》八百文《やおぶみ》堆《うずたか》く載せ」たりという一事はこれを証して余りあるべし。その敬神|尊王《そんのう》の主義を現したる歌の中に
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高山彦九郎正之
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大御門《おおみかど》そのかたむきて橋上に頂根《うなね》突《つき》けむ真心《まごころ》たふと
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をりにふれてよみつづけける(録一)
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吹風《ふくかぜ》の目にこそ見えぬ神々は此《この》天地《あめつち》にかむづまります
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独楽※[#「口+金」、第3水準1−15−5](録二)
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たのしみは戎夷《えみし》よろこぶ世の中に皇国《みくに》忘れぬ人を見るとき
たのしみは鈴屋大人《すずのやうし》の後に生れその御諭《みさとし》をうくる思ふ時
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赤心報国《せきしんもてくににむくゆ》(録一)
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国汚す奴《やっこ》あらばと太刀|抜《ぬき》て仇《あだ》にもあらぬ壁に物いふ
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示人《ひとにしめす》(録一)
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天皇《すめらぎ》は神にしますぞ天皇の勅《ちょく》としいはばかしこみまつれ
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極めて安心に極めて平和なる曙覧も一たび国体の上に想い到る時は満腔《まんこう》の熱血を灑《そそ》ぎて敬神の歌を作り不平の吟をなす。慷慨淋漓《こうがいりんり》、筆、剣のごとし。また平日の貧曙覧に非ず。彼がわずかに王政維新の盛典に逢《あ》うを得たるはいかばかりうれしかりけむ。
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慶応四年春、浪華に
行幸あるに吾《わが》
宰相君《さいしょうのきみ》御供仕《おんともし》たまへる御とも仕《つこう》まつりに、上月景光主《こうづきかげみつぬし》のめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに
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天皇の御《み》さきつかへてたづがねののどかにすらん難波津に行《ゆけ》
すめらぎの稀《まれ》の行幸《いでまし》御供《みとも》する君のさきはひ我もよろこぶ
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天使のはろばろ下りたまへりける、あやしきしはぶるひ人《びと》どもあつまりゐる中にうちまじりつつ御けしきをがみ見まつる
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隠士も市の大路に匍匐《はらばい》ならびをろがみ奉《まつ》る雲の上人
天皇の大御使《おおみつかい》と聞くからにはるかにをがむ膝をり伏せて
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勅使をさえかしこがりて匍匐《はらば》いおろがむ彼をして、一たび二重橋下に鳳輦《ほうれん》を拝するを得せしめざりしは返すがえすも遺憾《いかん》のことなり。
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都にのぼりて
大行《たいこう》天皇の御はふりの御わざはてにけるまたの日、泉涌寺《せんにゅうじ》に詣《もうで》たりけるに、きのふの御わざのなごりなべて仏さまに物したまへる御ありさまにうち見奉られけるを畏《かしこ》けれどうれはしく思ひまつりて
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ゆゆしくも仏の道にひき入るる大御車《おおみくるま》のうしや世の中
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曙覧は王政維新の名を聞きて、その実を見るに及ばざりしなり。
[#地付き]〔『日本』明治三十二年三月二十四日〕
社会の一貧民としての曙覧、日本国民の一人としての曙覧は、臆測ながらにほぼこれを尽せり。ここより歌人としての曙覧につきて少しく評するところあらんとす。
曙覧の歌は比較的に何集の歌に最も似たりやと問わば、我れも人も一斉に『万葉』に似たりと答えん。彼が『古今』、『新古今』を学ばずして『万葉』を学びたる卓見はわが第一に賞揚せんとするところなり。彼が『万葉』を学んで比較的|善《よ》くこれを模し得たる伎倆《ぎりょう》はわが第二に賞揚せんとするところなり。そもそも歌の腐敗は『古今集』に始まり足利時代に至ってその極点に達したるを、真淵《まぶち》ら一派古学を闢《ひら》き『万葉』を解きようやく一縷《いちる》の生命を繋《つな》ぎ得たり。されど真淵一派は『万葉』を解きて『万葉』を解かず、口には『万葉』をたたえながらおのが歌は『古今』以下の俗調を学ぶがごときトンチンカンを演出して笑《わらい》を後世に貽《のこ》したるのみ。『万葉』が遥《はるか》に他集に抽《ぬき》んでたるは論を待たず。その抽んでたる所以《ゆえん》は、他集の歌が豪《ごう》も作者の感情を現し得ざるに反し、『万葉』の歌は善くこれを現したるにあり。他集が感情を現し得ざるは感情をありのままに写さざるがためにして、『万葉』がこれを現し得たるはこれをありのままに写したるがためなり。曙覧の歌に曰く
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いつはりのたくみをいふな誠だにさぐれば歌はやすからむもの
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「いつはりのたくみ」『古今集』以下皆これなり。「誠」の一字は曙覧の本領にして、やがて『万葉』の本領なり。『万葉』の本領にして、やがて和歌の本領なり。我|謂《い》うところの「ありのままに写す」とはすなわち「誠」にほかならず。後世の歌人といえども、誠を詠め、ありのままを写せ、と空論はすれどその作るところのかえっていつわりのたくみを脱するあたわざるは誠、ありのまま、の意義を誤解せるによる。西行のごときは幾多の新材料を容《い》れたるところあるいはこの意義を解する者に似たれど、実際その歌を見ば百中の九十九は皆いつわりのたくみなるを知らん。趣味を自然に求め、手段を写実に取りし歌、前に『万葉』あり、後に曙覧あるのみ。
されば曙覧が歌の材料として取り来《きた》るものは多く自己周囲の活人事《かつじんじ》活風光《かつふうこう》にして、題を設けて詠みし腐れ花、腐れ月に非ず。こは『志濃夫廼舎《しのぶのや》歌集』を見る者のまず感ずるところなるべし。彼は自己の貧苦を詠めり、彼は自己の主義を詠めり。亡き親を想いては、「親ある人もあるに」と詠み、亡き子を想いては、「きのふ袂《たもと》にすがりし子の」と詠めり。行幸の供にまかる人を送りては、「聞くだに嬉《うれ》し」と詠み、雪の頃旅立つ人を送りては、「用心してなだれに逢《あ》ふな」と詠めり。楽《たのし》みては「楽し」と詠み、腹立てては「腹立たし」と詠み、鳥|啼《な》けば「鳥啼く」と詠み、螽《いなご》飛べば「螽飛ぶ」と詠む。これ尋常のことのごとくなれど曙覧以外の歌人には全くなきことなり。面白からぬに「面白し」と詠み、香もなきに「香に匂《にお》ふ」と詠み、恋しくもなきに「恋にあこがれ」と詠み、●
見もせぬに遠き名所を詠み、しこうして自然の美のおのが鼻の尖《さき》にぶらさがりたるをも知らぬ貫之《つらゆき》以下の歌よみが、何百年の間、数限りもなくはびこりたる中に、突然として曙覧の出でたるはむしろ不思議の感なきに非ず。彼は何に縁《よ》りてここに悟るところありしか。彼が見しこと聞きしこと時に触れ物に触れて、残さず余さずこれを歌にしたるは、杜甫《とほ》が自己の経歴を詳《つまびらか》に詩に作りたると相《あい》似たり。古人が杜詩を詩史と称えし例に傚《なら》わば曙覧の歌を歌史ともいうべきか。余が歌集によりてその人の事蹟《じせき》と性行とを知り得たるもその歌史たるがためなり。しかれども彼が杜詩より得たるか否かは知るに由《よし》なし。ただ杜甫の経歴の変化多く波瀾《はらん》多きに反して、曙覧の事蹟ははなはだ平和にはなはだ狭隘《きょうあい》に、時は逢いがたき維新の前後にありながら、幾多の人事的好題目をその詩嚢《しのう》中に収め得ざりしこと実に千古の遺憾《いかん》なりとす。[#地付き]〔『日本』明治三十二年三月二十六日〕
『古今集』以後今日に至るまでの撰集、家集を見るに、いずれも四季の歌は集中の最要部分を占めて、少くも三分の一、多きは四分の三を占むるものさえあり。これに反して四季の歌少く、雑《ぞう》の歌の著《いちじるし》く多きを『万葉集』及び『曙覧集』とす。この二集の他に秀でたる所以《ゆえん》なり。けだし四季の歌は多く題詠にして雑の歌は多く実際より出《い》づ。『古今集』以後の歌集に四季の歌多きは題詠の行われたるがためにして世下るに従い恋の歌も全く題詠となり、雑の歌も十分の九は題詠となりおわりぬ。曙覧の歌すら四季のには題詠とおぼしきがあり、かつ善からぬが多し。題詠必ずしも悪《あ》しとに非ず、写実必ずしも善しとに非ず。されど今日までの歌界の実際を見るに題詠に善き歌少くして写実に俗なる歌少し。曙覧が実地に写したる歌の中に飛騨《ひだ》の鉱山を詠めるがごときはことに珍しきものなり。
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日の光いたらぬ山の洞《ほら》のうちに火ともし入《いり》てかね掘出《ほりいだ》す
赤裸《まはだか》の男子《おのこ》むれゐて鉱《あらがね》のまろがり砕く鎚《つち》うち揮《ふり》て
さひづるや碓《からうす》たててきらきらとひかる塊《まろがり》つきて粉《こ》にする
筧《かけひ》かけとる谷水にうち浸しゆれば白露手にこぼれくる
黒けぶり群《むらが》りたたせ手もすまに吹鑠《ふきとろ》かせばなだれ落《おつ》るかね
鑠《とろ》くれば灰とわかれてきはやかにかたまり残る白銀の玉
銀《しろがね》の玉をあまたに筥《はこ》に収《い》れ荷緒《にのお》かためて馬|馳《はし》らする
しろがねの荷|負《おえ》る馬を牽《ひき》たてて御貢《みつぎ》つかふる御世のみさかえ
[#ここで字下げ終わり]
採鉱溶鉱より運搬に至るまでの光景|仔細《しさい》に写し出《いだ》して目|覩《み》るがごとし。ただに題目の新奇なるのみならず、その叙述の巧《たくみ》なる、実に『万葉』以後の手際なり。かの魚彦《なひ
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