うごか》して人のぼり来る
[#ここで字下げ終わり]
「設け題」「探り題」「あき米櫃」「饅頭を頬ばる」「笑ひかたりて腹をよる」「畳かず狸のものの広さにて」「二郎太郎三郎」など思うに任せて新語新句をはばかり気もなく使いたるのみならず、「人豆を打つ[#「人豆を打つ」に白丸傍点]」「涼しさ広き[#「涼しさ広き」に白丸傍点]」「窓をうづめてさく薔薇[#「窓をうづめてさく薔薇」に白丸傍点]」などいうがごとく、詩または俳句には用うれど、歌にはいまだ用いざる新句法をも用いたるはその見識の凡《ぼん》ならぬを見るべし。「神代のにほひ吐く草の花」といえる歌は彼の神明的理想を現したるものにて、この種の思想が日本の歌人に乏しかりしは論を竢《ま》たず。(曙覧の理想も常にこの極処に触れしにあらず)一般に天然に対する歌人の観察は極めて皮相的にして花は「におう」と詠み、月は「清し」と詠み、鳥は「啼《な》く」、とのみ詠むのほか、花のうつくしさ、月の清さ、鳥の啼く声をしみじみと身にしめて感じたる後に詠むということなければ、変化のなきのみか、その景象を明瞭《めいりょう》に眼前に浮《うか》ばしむることは絶えてあるなし。曙覧の叙
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