鹿《まおしか》の肩焼く占《うら》にうらとひて事あきらめし神代をぞ思ふ
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筑紫人《つくしびと》のその国へかえるに
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程すぎて帰らぬ君と夕占《ゆうけ》とひまつらむ妹にとく行《ゆき》て逢へ
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されど女を思うも子を思うも恋い思うとばかり詠む短歌にては、感情の切なるを感ずるほかなければ、いずれにても深き差異あるにあらず。この点におきて『万葉』と曙覧と強いて優劣するを要せず。しこうして客観的歌想に至りては曙覧やや進めり。
四季の題は多く客観的にして、『古今』以後客観的の歌は増加したれど、皆縁語または言語の虚飾を交えて、趣味を深くすることを解せざりしかば、絵画のごとく純客観的なるは極めて少かり。『新古今』は客観的叙述において著《いちじるし》く進歩しこの集の特色を成ししも、以後再び退歩して徳川時代に及ぶ。徳川時代にては俳句まず客観的叙述において空前の進歩をなし、和歌もまたようやくに同じ傾向を現ぜり。されども歌人皆|頑陋《がんろう》褊狭《へんきょう》にして古習を破るあたわず、古人の用い来《きた》りし普通の材料題目の中にてやや変化
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