東京』と題せる一書を著して非常の好評を博せり。その中の一節に曰く
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野蛮の先導者暗黒時代の松明持《たいまつもち》孔子を祭りたる廟と今なほ二、三の考古家によりて愛読せらるる『論語』といふ古書における「子の曰く」を研究したる学校とのありし処は今の○○シヤボン屋のシヤボン庫のあたりなりといふ。シヤボン屋主人の物語る所によればその第三シヤボン庫と第四シヤボン庫との間にある朽根《くちね》は彼の幼時なほ緑葉を見るに及びたる老樹にして昔は聖堂構内の物なりしといひ伝へたりと。
御茶の水殺人事件とて当時の東京に喧伝《けんでん》したる、特にこの事件のために新聞の雑報小説に残酷なる傾向を促したりとまで称へらるる事件の被害者「この」の屍骸《しがい》の横《よこた》はりたるは、待合|白※[#「間+鳥」、45−14]《はっかん》亭の六扇窓下にして、スルガホテルの厠《かわや》の窓より見下すべき駿台第一の老屋、その屋の棟に金箔の僅かに残りたる十字架は、その昔宗教隆盛時代に建築せられ、当時の慷慨家をして「彼|巍然《ぎぜん》たるニコライ会堂」あるいは「東京市中を睥睨《へいげい》する希臘《ギリシャ》教会
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