めに下二句の内を字餘りにする事屡有之此歌も其一にて(前に擧げたる大江千里の月見ればの歌も此例。猶其外にも數へ盡すべからず)候。此歌の如く下を字餘りにする時は三句切にしたる方却て勢強く相成申候。取りも直さず此歌は三句切の必要を示したる者に有之候。又
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物いはぬよものけたものすらたにもあはれなるかな親の子を思ふ
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の如き何も別にめづらしき趣向もなく候へども一氣呵成の處却て眞心を現して餘りあり候。序に字餘りの事一寸申候。此歌は第五句字餘り故に面白く候。或る人は字餘りとは餘儀なくする者と心得候へどもさにあらず、字餘りには凡《およそ》三種あり、第一、字餘りにしたるがために面白き者、第二、字餘りにしたるがため惡き者、第三、字餘りにするともせずとも可なる者と相分れ申候。其中にも此歌は字餘りにしたるがため面白き者に有之候。若し「思ふ」といふ〈を〉つめて「もふ」など吟じ候はんには興味索然と致し候。こゝは必ず八字に讀むべきにて候。又此歌の最後の句にのみ力を入れて「親の子を思ふ」とつめしは情の切なるを現す者にて、若し「親の」の語を第四句に入れ最後の句を「子を思ふ
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