ても其れに對する吾人の觀念と古人のと相違する事珍しからざる事にて」云々それは勿論の事なれどそんな事は生の論ずることゝ毫も關係無之候。今は古人の心を忖度《そんたく》するの必要無之、只此處にては古今東西に通ずる文學の標準(自ら斯く信じ居る標準なり)を以て文學を論評する者に有之候。昔は風帆船が早かつた時代もありしかど蒸氣船を知りて居る眼より見れば風帆船は遲しと申すが至當の理に有之貫之は貫之時代の歌の上手とするも前後の歌よみを比較して貫之より上手の者外に澤山有之と思はゞ貫之を下手と評すること亦至當に候。歴史的に貫之を褒めるならば生も強ち反對にては無之候へども只今の論は歴史的に其人物を評するにあらず、文學的に其歌を評するが目的に有之候。
「日本文學の城壁とも謂ふべき國歌」云々とは何事ぞ。代々の勅撰集の如き者が日本文學の城壁ならば實に頼み少き城壁にて此の如き薄ッぺらな城壁は大砲一發にて滅茶滅茶に碎け可申候。生は國歌を破壞し盡すの考にては無之日本文學の城壁を今少し堅固に致し度外國の髯づらどもが大砲を發《はな》たうが地雷火を仕掛けうがびくとも致さぬ程の城壁に致し度心願有之、しかも生を助けて此心願を成就
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