の前の淵を山吹が淵巴が淵と名づくとかや。福嶋をこよひの旅枕と定む。木曾第一の繁昌なりとぞ。
 翌日朝大雨。待てども晴間なし、傘を購ひ来りて書き流す句に、
[#ここから2字下げ]
折からの木曾の旅路を五月雨
[#ここで字下げ終わり]
 旅亭を出づれば雨をやみになりぬ。此ひまにと急げば雨の脚に追ひつかれ木陰に憩へば又ふりやむ。兎に角と雨になぶられながら行き/\て桟橋に著きたり。見る目危き両岸の岩ほ数十丈の高さに劉《き》りなしたるさま一雙の屏風を押し立てたるが如し。神代のむかしより蒸し重なりたる苔のうつくしう青み渡りしあはひ/\に何げなく咲きいでたる杜鵑花《つつじ》の麗はしさ狩野派にやあらん土佐画にやあらん。更に一歩を進めて下を覗けば五月雨に水嵩ましたる川の勢ひ渦まく波に雲を流して突きてはわれ、当りては砕くる響大盤石も動く心地してうしろの茶屋に入り床几に腰うちかけて目を瞑ぐに大地の動き暫しはやまず。蕉翁の石碑を拝みてさゝやかなる橋の虹の如き上を渡るに我身も空中に浮ぶかと疑はれ足のうらひやひやと覚えて強くも得踏まず通り、こし方を見渡せばこゝぞ桟のあとゝ思しきも今は石を積みかためれば固より往き来
前へ 次へ
全15ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング