晴れ渡りたる空の青嵐を踏へながら山を下れば藪原の驛なり。ある家に立ちよりてお六櫛を求む。誰に贈らんとてか我ながらあやし。此ほとりよりぞ木曾川に沿ふて下るなる。白雲をあやどる山脉はいよいよ迫りてかぶせかゝらん勢ひ恐ろしく奥山の雪を解かして清らかなる水は谷を縫ふて其響凄し。深き淵のたゞ中に大きなる岩の一つ突き出でたる上に年ふりたる松の枝おもしろく竜にやならんと思はれたるなどもをかしく久米駿公の詩に水抱巌洲松孑立雲竜石窟仏孤栖といへるはこゝなんめりと独りつぶやかる。宮の越の村はづれに佇んで待つ事半時、いと古代めきたる翁の釣竿[#「竿」は底本では「芋」]を担ぎたるが画の中よりぞ現れいでたる。笠をぬいで慇懃に徳音寺の道を問ふ。翁のいふ。さてもやさしの若者や。旭将軍のなきあとを弔はんとてこゝまでは来たまへる。こゝに茂れる夏木立は八幡の御社なり。かしこの山の上こそむかしの城の跡なれ。このわたりの畑もつはものどもが住みし夢の名残なるものを今は桑の樹ばかりぞ秀でたると一つ/\に指さす。そゞろに古を忍ぶ言ばのはし、この翁謡ならばかき消すやうにうせぬべし。日照山徳音寺に行きて木曾宣公の碑の石摺一枚を求む。こ
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