つ》けつつある自分に据《す》えられた男の眼が、そういう状態に在る美しい女を見ているのではなく、敵国の一スパイを見ているにすぎないのを知って、悲しかった。
着物を着終ると、彼女の態度は急に強くなった。
「あなた方がいらっしゃったら、なんだかお部屋が臭くなったようね。」ひどいことを言って
「香《こう》を焚《く》べましょう。」
傍《かたわ》らの小卓に、緑色青銅の壺に金飾《きん》の覆を被《かぶ》せたインドの香炉が置いてある。マタ・アリは、マッチを擦《す》って手早く覆の小穴から投げ落す。白い煙りがあがった。
監視していたフランス特務員が、つと走り寄って香炉の蓋《ふた》を取る。底に隠された手紙が、燃えかかっているのだ。掴《つか》み出して揉み消す。読んでみる。"M ―― Y" という署名があった。
みんな恋文なのである。立派な文章でしっかりした中年過ぎの男の筆蹟だ。だれだと訊《き》いてもマタ・アリは答えない。答えなくても、筆者がだれであるか、密偵内部の第二号にだけはわかっていた。が、M――Yという署名、判然としているようで明瞭でない。そこを押してゆくと、マタ・アリは頑《がん》と口を噤《つぐ》
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