だ。戦時である。性道徳は弛緩《しかん》しきっている。マタ・アリは、スパイそのものよりも、いろんな男を征服するのが面白いのだ。今度はそれが仕事で、資金はふんだんに支給される。時と所と人と、三|拍子《びょうし》そろって、あの歴史的なスパイ戦線の尖端《せんたん》に踊りぬいていたのだった。

 マルガリイの料理店である。赤十字慈善舞踏会の夜だった。明るい灯の下、珍味の食卓を中に、一|対《つい》の紳士淑女はフォウクと談笑を弄《もてあそ》んでいる。新型のデコルテから、こんがり焦《こ》げたような、肉欲的な腕と肩を露《あら》わしたマタ・アリは、媚《こ》びのほかなにも知らない、上気《じょうき》した眼をあげて、相手の、連合マリン・サアヴィスのノルマン・レイ氏を見てにっこりした。駝鳥《だちょう》の羽扇《おおぎ》が、倦《けだ》るそうに[#「倦《けだ》るそうに」は底本では「倦《けだる》るそうに」]ゆらりと揺れて、香料の風を送る。どうあってもここんところは、プラス・ヴァンドウムかルウ・ドュ・ラ・ペエの空気でないと、感じがでない。グラン・ブルヴァルだと、もうコティのにおいがする。
「ねえ、このごろなんにも下さらない
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