上のように考えられた。只これで当分海へ出られないと思うとそれが残念でならなかった。
 払暁《ふつぎょう》海岸通りを見廻っていた観音崎署の一刑事は、おきん婆あの船員宿の前の歩道に夥《おびただ》しい血溜りを発見して驚いた。血痕は点滴《てんてき》となって断続し乍ら南へ半丁程続いて、其処《そこ》には土に印された靴跡《くつあと》や、辺りに散乱している衣服の片《きれ》などから歴然と格闘の模様が想像された。そこは油庫《タンク》船の着いていた跡であって、岩壁から直《す》ぐ深い、油ぎった水が洋々と沖へ続いて居た。その石垣の上に坂本新太郎の海員手帳と一枚の質札が落ちていたのである。
 時を移さず所轄署の活動となった。動機の点が判然しないので第一の嫌疑者として自然的に其筋が眼星を付けたのが、相部屋同志の森為吉であったことは此の場合仕方があるまい。が、網を曳いてみても、潜水夫を入れても坂本の屍体は勿論|所有物《もちもの》一つ揚がらなかった。で、満潮を待って、水上署と協力して一斉に底洗いをする手筈になっていた。
 小刀《ナイフ》のことや指の傷を考えると、さすがに為吉は自分の姿を絞首台上に見るような気がして何うも
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