発機《エヴァボレイタア》の蔭へ横ざまに倒れた。
「そこは不可《いけ》ねえ、直ぐ見付かる」と黒人が叫んだ。「停泊用釜《ドンキ・ボイラ》の上から水張りの隙間《スペイス》へ潜込むんだ。早く!」
 低い掘通《トンネル》から灰の一|吋《インチ》も溜まっている停泊用釜《ドンキ・ボイラ》へ這上って、両脚が一度に這入らない程の穴から為吉は水管の組合っている釜《ボイラ》の外側へ身を縮めた。火の気のない釜の外は氷室《ひむろ》のように冷えていた。掘通《トンネル》の扉《ドア》を締めて出て行くボストンの跫音が聞えた後は、固形化したような空気が四方から彼を包んで、水準下の不気味な静寂に耳を透ましていた為吉は、不自然な姿勢から来る苦痛をさえ感じなかった。が、考えても見なかった、何のためにこんな事をしているのか、それは自分でも解らなかったからである。
 こつ、こつ、こつ、じい――い。
 と、何処からともなく鉄板を引掻くような音が聞えて来た。おや、と為吉は思った。
 こつ、こつ、こつ、じい――い。
 音は釜《ボイラ》の中からするようでもあったし、釜前《ダンピロ》の通風器《ヴェンチレエタア》から洩れるようにも聞えた。
 こつ、こつ、こつ、じい――い、じい。
 はっ[#「はっ」に傍点]と彼は思い付いた。よく船員達が爪で卓《テーブル》などを叩いて合図する無線電信《ワイヤレス》、万国ABCの略符合《コウド》なのだ、そして確かに停泊用釜《ドンキ・ボイラア》の中から聞えて来るではないか!
 どやどやと靴音がしたかと思うと、
「御覧の通り誰も居りません、わっはっは」という一等運転士《チイフ・メイト》の声がして、続いて二言三言会話があった。一同が出て行った後、為吉は死んだようになって水管《ヴァルヴ》に頬を押付けた。
 こつ、こつ、じい――。
 前よりも一層明瞭に響いて来た。無意識に彼の頭はそれを翻読した。SOS! 難破船が救助を求める信号ではないか!
 為吉はぎょっとした。隠しから小刀《ナイフ》を取出して水管を叩いた。「ナニコトカ――」
 こつ、じい、こつ、こつ、こつ、じ――い。
「Shanghai――」と返信があった。
 上海《シャンハイ》? ナニコトカ[#「ナニコトカ」に傍点]と彼は又|水管《ヴァルヴ》を掻いた。
「Shanghaiされた」
 上海《シャンハイ》された! 通行人を暴力で船へ攫《さら》って来て出帆
前へ 次へ
全12ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧 逸馬 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング