じ」に傍点]した。
「ああ、これから美倉《みくら》へ出て――」
「へえ、美倉橋を渡りますだ」
と言いながらさては浅草の和泉屋かと、助五郎は釣り出しを掛けて置いて後を待った。望月は好い気で、「橋を右へ折れて蔵前《くらまえ》か、へっへっへ」
蔵前の和泉屋、すると、あの質屋看板の物持和泉屋に相違ないが、そこの道楽息子が最近長唄の名取りになったところで、それが杵屋《きねや》であろうと岡安《おかやす》であろうと、別に天下の助五郎の興味を惹くだけの問題でもなかった。
決して物盗りではなく、又単なる力試しでもないことは大勢の通行人の中から又七だけを選んだことで充分解るとしても、要するにこれは芸人仲間の紛糾《いざこざ》から根を引いての意趣晴しに過ぎないかも知れない。若《も》しそうとすれば、わざわざ出て来た助五郎は、正にとんだ見込み外れをしたわけで、ここらであっさり手を離した方が案外利口な遣り方でもあろう――が、ともすれば、瓢箪《ひょうたん》から鯰《なまず》の出度《でた》がる世の中である。それに、ここまで来て手ぶらであばよ[#「あばよ」に傍点]は助五郎の世話役趣味がどうしても許さなかった。何よりも、あの不自然な又七夫婦の態度、すこし過分な、羽二重の熨斗《のし》、四日前の大浚え、それから暗打《やみう》ち――助五郎はにやり[#「にやり」に傍点]と笑った。一つの糸口が頭の中で見付かりかけた証拠である。足を早めて望月と並びながら、ずい[#「ずい」に傍点]と一本突っ込んだ助五郎には、もう持前の江戸っ児肌が返っていた。
「のう、家元さん、四日前にゃよく切れやしたの、え、おう?」
「――」望月は眼をぱちくりさせて立竦《たちすく》んだ。
「いやさ、絃がよく切れたということさ」
と助五郎は重ねて鎌を掛けた。
「え?」
「まあさ」と助五郎は微笑んで、「竪三味線《たてじゃみせん》は杵屋の誰だったっけ?」
「雷門《かみなりもん》。へへへへ」望月は明らかに度を呑まれていた。
「雷門、てえと竹二郎《たけじろう》師匠かえ?」
「へえ」
「蔵前へ近えな」
「へへへ、和泉屋さんの掛り師匠でげす、へえ」
「ふうん」助五郎はやぞう[#「やぞう」に傍点]で口を隠しながら、
「のっけ[#「のっけ」に傍点]から切れたろう――一番目は?」
「八重九重桜花姿絵《やえここのえはなのすがたえ》」
「五郎時宗《ごろうときむね》、
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