ッド・サマリタン病院で看護婦の訓練を受けたのだ。サミイとは正反対の、男性的な強い性格で、だから二人は、まるで夫婦のように気が合ったのだろう。実際ルロイは、良人が妻を愛するようにサミイを愛して、第三者には滑稽な位いだったと言う。
 この、同性愛の第三者として、ルウス・ジュッドが割り込もうとしたに相違ない。ここに悲劇の発端が生じたのだが、長く良人と別れていた彼女も、性的な淋しさや何かから、病的にサミイへ近づいて行って、そこに、アン・ルロイとの間に恋の鞘当てが始まったのだ。


 フォニックスの病院の看護婦で、ルシイル・ムアというのが、兇行の前夜、木曜日の晩飯に二人の家へ呼ばれて行ったのだが、その時、ルウス・ジュッドも来ていて、何となくルウスと犠牲者の女二人とのあいだに険悪な空気があったようだと証言した。ルウスは公然とサミイに興味を示して、食卓の下で手を握ろうとしたりなど、その度にアンは、見ないようにしながら、顔色を変えていた。同性愛の猛烈な闘争が遂に火を発して、この犯罪を生んだものであることは言うまでもないのである。ルウス・ジュッドが良人を愛していたことも、偽りのない気持ちではあろうが、この種の同性間の恋愛は、往々常識を逸したものであると言う。既に病的な域に踏み込んでいたものに相違ないと、ジュッド医師も科学者の立場から認めている。その年、一九三一年の夏、ルロイ夫人は親戚の用で、一寸故郷のオレゴン州ポウトランドへ帰ったことがある。丁度良人のジュッド氏は、ビスビイ鉱山へ出張のあとで、ルウスは此の時、サミイの手を取って駈け落ちをしようとまで騒いだというのだ。出入りの牛乳配達や、氷屋などが証言に現れて来てアンが夜勤の晩などは、ルウスはよくサミイの寝室へ這入り込んで朝まで一緒に寝ていたりするのを、早朝窓の外を通って見たなどと言った。ルウスがサミイに買い与えた花束や菓子などを、アンは恐ろしい形相でルウスへ叩き返したりした。
 表面仲の好かった三人の女友達の間に、こんな軋轢《あつれき》のあったことは、ジュッド医師は勿論、周囲の人も誰も知らなかったのである。が、良人の不在中、夫婦のような女二人と一緒にいるのは、堪らないと言って、ルウスは、秋になると間もなく、東ブリル街一一三〇番地の家へ移ったのだ。
 三人の共通の友達で、ベテイ・マレイという女薬剤師なども、ルウス・ジュッドは時どきヒステリカルになって、アンへ物を投げつけたりなど、野獣のように暴れることがあったと言った。
 グルノウ療養院の看護婦長エヴェリン・ネエスというのが、サミイとアンを生きて最後に見た人で、金曜日の午後、北二丁目へ訪ねて行くと、アンはサミイのために寝台《ベッド》の支度をしていたが、三人はそれから茶を飲んで雑談を交わした。サミイは桃色のパジャマを着て、陽気に騒いでいたというのだ。
 その夜晩く、ルウス・ジュッドが、彼《か》の家へ来たのだろう。
 これが兇行の晩で、翌朝早く療養院の当直医パアシイ・ブラウンのところへ、女の声で電話が掛って来て、
「私アン・ルロイですの。サミュエルスンさんの兄さんが急病で、ちょっと一緒にタクソン町まで行かなければなりませんから、病院のほうは休ませて頂きます」
 が、この電話の欠勤届が行き違いになって、その日の午前十時半頃、アン・ルロイが来ないので、何うしたのかと、院長の命令で看護婦の一人が、彼女の家へ見に行った事実もある。ひっそりして、人気のない様子で――それは人気のない訳で、この時はもう二人はトランクの中に収まっていたのだろうが、そんなことは知らないから、看護婦が窓から覗いて見ると、寝台はきちんとしていて、人の寝たふうは見えなかったという。
 これが土曜日のことで、ルウスはけろりとして病院へ現れて、一日一杯いつものように快活に立ち働いた。が、夕方帰り際に、
「羅府の良人から手紙が来て、鳥渡行かなければなりません。ボウルドウイン博士に、そう申上げて下さい。水曜日には帰れると思います」
 そして、自分の代りに、スピッケルマイヤアという看護婦を、市の看護婦会から臨時に雇って来て、仕事に差閊えないようにしたりした。ひどく落ち付いたものである。
 これらの調査がフォニックス市で進捗《しんちょく》している間に、羅府では、ルウス・ジュッドの行方を求めて、未だに大騒動を演じている始末だ。
 何処へ行ったか皆目知れないのである。
 ジュッド医師とバアトン・マッキンネルは、囮として一時釈放されて、昼夜間断なく尾行がついている。サンタ・モニカのケリイ・ジュッドの家には、女巡査が張り込んで、すべての電話をケリイの声色で、応対しているのだ。
 月、火、水、木――日は流れる。
 捜査本部は、新聞記者の大洪水だ。何時ルウスが発見されるか判らないので、誰一人一秒も部屋を離れる者はなく、署員の顔色から捜査の発展を看取しようと、一同眼を光らせているのだ。
 煙草の煙りで、咽返るような室内に、記者連中の意見が、大声に交換される。
「なあに、もう生きてるもんか。二、三日中に何処かの浜へ死骸になって流れ着くよ。まあ俺の言う通りだから、見て居給え」
 と言ったのは、ロスアンゼルス・タイムスの社会部記者、パット・シェパアドだ。
 雑談に花が咲いている。

      5

「例のトランクを海へ捨てる心算《つもり》だったって言うからね。海ということは、ルウスの頭にある筈だ。だから、俺は思うんだが、あいつ今頃、トランクの代りに海に浮かんでるよ」
 同じ社のアルバアト・ナダンが笑って、
「なあに、そんなことはあるもんか。こういう種類の女は、自分のやったことを、お終いまで見度がるものだよ。何処かにじっとして、毎日新聞を買い集めて読んでるに相違ない」
「何しろ五弗しか持ってねえんだからな。近い内に食えなくなって、のこのこ出て来るにきまってる」
 と言ったのは、ヘラルドのフレッド・パアネス記者だ。
 エギザミナア紙の社会部副部長、ウオルタア・ノウトンは、一同と別の意見で、
「僕は何うもあの弟のバアトンの奴が臭いと思うんだ。あいつ確かに姉の居所を知っていて秘かに金ぐらい廻わしているに相違ない。あいつの口を割らせることが第一だよ」
 犯人逮捕に一千弗の賞金を提出したのは、このエギザミナアが一番早かった。翌日タイムスが、この上を行って、千五百弗の賞金を出す。ロスアンゼルス中、素人探偵がうようよし出す。


 ジュッド医師の広告も各新聞紙に現れて、
「ルウスよ、帰って呉れ。親愛なるルウス、何卒法律の前に降服して呉れ。お前の気持ちは私にはよく解っている。お前一人であんなことをしたとは思われない。誰かを庇っているに相違ないが、どうぞ出て来て、私にだけでも凡べてを告白して呉れ――お前の良人で恋人の、ウイリアム・ジュッド」
 この、ジュッド医師の意見では、妻は最早や生きてはいまいというので、
「身体も心持ちも弱い女なんです。法廷に立つことを思って、それだけでも自殺しているに相違ありません。が、若し生きているなら、五分間私と会いさえすれば、私はよく話してやって、進んで警察へ自首させて見せますが――」
 十月二十三日金曜日は、何となく一種の緊張味が捜査本部に漂って、刑事や記者連中の顔にも蒼白なものが漲っているような気がする。
 今日は何か起る!
 警察と新聞社がタイ・アップして、文字通り歩道の石を起すような捜索なのだ。もう、ルウスの逮捕は時間の問題に相違ない。賞金は二千五百弗、市民は眼の色を変えて、ルウス騒ぎに熱中しているのだから、もし、まだ生きているとすれば、案外公々然と、刑事や記者の眼に触れながら、それとは気が付かれずに静かにしているに相違ない。
 午後四時三十分、このはち切れそうな緊張に、電波のように揺り動かして、閃いたものがある。
 電話のベルだ。
 課長秘書のマデリン・ケリイが、受話機を取り上げると直ぐ、彼女はそれを、タイムス社のアルバアト・ナダン記者へ差出して、
「あなたへ電話ですよ」
 タイムスに其の人在りと知られた、警察係ナダンは、暫く電話で暗合のような言葉を話し合っていたが、
「そうかい。じゃあ、兎に角行って見よう」
 と、静かに言うと、そのまま退屈そうな顔で、ぶらりと捜査本部を出て行く。
 ナダン記者の背後に、揺れ扉が閉まるか閉まらないに――。
 また、電話だ。
 今度は、課長テイラア氏へ。


 と、思うと、課長室で鈴が鳴って、秘書のマデリン・ケリイを呼んでいる。
 這入って行って机の前に立つと、テイラア課長は、きらりと輝く眼を上げた。
「アレキサンダア・ホテルへ電話を掛けて、フォニックス地方検事アンドリウスさんに、直ぐ此処へ来るように言って呉れ。今夜、アリゾナへ帰る予定なんだが、直ぐそれを変更して、本署へ来て待つように――」
 待つ――とは、何を?
 見ると、課長は、帽子を被って部屋を出て行こうとしている。記者連の眼が、一斉に集中する。
「何処へ行くんですか」
 起って来て、口ぐちに訊くのだ。
「うん。ちょっと煙草を買いにね」
 ゆったりとした足取りで出て行く課長の後姿に、記者連は騒ぎ立って、
「煙草だと? 何を言やがる!」
「さあ、来た! こうしちゃあ居られねえ!」
「俺達も煙草を買いに出掛けようじゃねえか」
 一度に帽子を掴んで走り出した。
 所謂第六感が、彼等の足を動かすのだ――「アリゾナの女虎」事件に、眼鼻がつきかけて来た!
 一人あとに残されたマデリン・ケリイ秘書は、何か叫び上げ度いような興奮に駆られて、椅子にじっとしていることは出来なかった。


「おい! 見つかったぞ!」
 という電話が、捜査本部へ鳴り響いたのは、それから半時間の後だった。
 ルウス・ジュッドが、良人の前に現れたということを聞き込んで、ああしてテイラア課長も、タイムスのナダン記者も、狼狽しながら知らん顔して、急いで捜査本部を立ち出でたのだった。S・Pの駅頭にトランクが開かれてから、実に四日目の午後である。


 ルイス・P・ラッセル判事――此の人はいま現に羅府で弁護士を開業している――が、ジュッド医師の身柄を保管していて、この逮捕の時にも、その現場に居合わせた。
 お昼頃、何処からともなく電話が掛って来た。女の声である。秘書のリチャアド・カンテロンが応答すると、
「ジュッドさんはそちらに居ましょうか」細い、かすれたような声で、「私はルウス・ジュッドですけれど」
 その瞬間のカンテロンの驚きは、現しようがない。が、直ぐ彼は、その部屋に居合わせる新聞記者を警戒しなければならないことを思い附いて、
「いいえ」出来るだけ平静な声だ。「ですが、一時間以内にミュウチュアル二三三一番へ電話をお掛けになれば、そちらでお話の出来るように取り計らいましょう」
 これで、電話が切れた。
 この電話番号は、同じビルディング内の弁護士パトリック・クウネイの電話で、カンテロンが突嗟に思い付いて、記者連へのカムフラアジのために、ジュッド夫人へそれを告げたのだ。そしてすぐ、ラッセル判事と相談の上、それとなくジュッド医師をクウネイ弁護士の事務所へ連れ込んで置く。クウネイには事情を明かして、電話と事務所を一時借りることにした。


 地下鉄ビルディングのクウネイ弁護士の事務所である。ジュッド医師を中心に、ラッセル判事と、カンテロン秘書と、三人は黙然と椅子に掛けて、じっと机上の電話を見詰めている。一時半、二時――電話は来るか、来るか――と、来た――鈴《ベル》が鳴るとジュッド医師は、顔色を変えて椅子に飛び上った。
「もしもし――ジュッドだが」
「あら、あなた?」
 妻のルウスだ。
 ジュッド医師は震え声で、
「ルウス、お前何処に――何処に居るんだ」
 が、ルウスは良人にも居所を明かそうとしない。ジュッドは長いことかかって、自分とラッセル判事だけが、そっと会いに行くからと、悲痛な言葉で説き立てながら、
「ルウス、何も怖がることはないよ。決して直ぐ警察へ突き出したりなんかしないから。バルテモア自動車車庫を知ってるね? 知ってるだろう? お前あすこへ
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