アリゾナの女虎
牧逸馬

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)専属探査員《プライヴェイト・インヴェステゲエタア》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)「|土人の夏《インディアン・サンマア》」

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)世界怪奇実話2[#「2」はローマ数字、1−13−22]
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      1

「課長さんは居ますか」
「いま鳥渡座席にいませんが――私は秘書です。何か御用ですか」
「ヴァン・ドュ・マアクと云う者です。南太平洋鉄道会社の専属探査員《プライヴェイト・インヴェステゲエタア》ですが――今、駅にちょっと変なトランクが二つ来て居るんですが、一応お届けして置き度いと思いまして。何か動物の死骸が這入って居るらしい匂いがするんです。誰か人を寄越して呉れませんか」
 この、一九三一年十月十九日、午後四時半、加州羅府《ロスアンゼルス》警察署、捜査課長ジョセフ・F・テイラア氏の机で、この時、私の受取った此の電話の伝言が、後から思えば、あの、電閃のように全米大陸を震撼せしめた事件の発端となったのである。
 話しを進める前に、ここで私は、私という人間の説明の必要を感ずる。私、マデリン・ケリイ―― Miss Medeline Kelley ――は、いま言ったこのテイラア課長の秘書で、四百五十人の刑事探偵の活躍を日夜目撃しながら、いま現に、この、ロスアンゼルスという世界のメッカの犯罪脚下燈の中心に立ち働いているものだ。
 これだけ言って置いて、先へ――。


 廊下の向側に殺人強力犯係D・A・ダヴィッドスン氏の部屋がある。私――マデリン・ケリイ秘書――は、電話を書き取った残片を掴んで、そこへ駈け込んだ。
 ダヴィッドスン警部は「羅府の禿鷹」と言われる警察界の古卒である。三十何年間、血腥い[#「血腥い」は底本では「血醒い」]事件の数々を潜って来て居る。
 伝言書を読み下すや否や、その、広い部屋のあちこちに事務を執っている刑事達を見廻わして、
「ライアン! トレス!」大声に二人を呼び寄せた。「こいつは一寸当って見ようじゃないか。直ぐ、南太平洋鉄道の事務所へ二人で行くんだ。ヴァン・ドュ・マアクに会うんだぞ。臭いトランクとかが二つあるんで、そいつを見て呉れと言うんだ」
 全く、臭いトランクに相違ないので。
 刑事フランク・ライアンとO・P・トレスは、其の足で、市役所の隣りの警察を飛び出して、大至急S・P―― Southern Pacific 南太平洋鉄道会社――の駅へ駈けつける。この間、約五分。
 会社の探査員、C・D・ヴァン・ドュ・マアクが、ちゃんと待ち構えている。ところで、其の変なトランクというのは、狩猟の獲物の鹿でも這入って居るのじゃないかと言うはなし――丁度狩りの期節《シイズン》でもあった。
「然し、色んな事情から見て、何うも可怪しいと思われる節があるのです。で、そちらへお願いした方がと、お呼びしたわけですが」
 トレスが事務的に、
「品物は何処にあるんだね?」
「貨物室に置いてあるんですが、その中の一つは、あんまり猛烈な悪臭がするんで、今日一日、プラットフォウムに投げ出してありました。アンダスンという係を呼びます。委《くわ》しい事はこの男からお聴き取り下さい」[#「下さい」」は底本では「下さい。」]
 この、着荷係A・V・アンダスンの話しに依ると、問題の二個のトランクというのは、其の朝、午前七時四十五分着の、S・P・ライン、アリゾナ州フォニックス市発、列車番号第三号の客貨物列車で到着したもので、丁度自分の監督で荷下ろしに当ったのだという。
「貨車乗務員が私に注意したのです」アンダスンの陳述だ。
「で私は、チッキ主任ジョウジ・ブルッカアに、特に其のトランクの保留を命じました。そして、誰か受取りに来たら、それとなく私へ知らせるようにと言って置きました。ところが、そうですね、丁度正午頃のことです」
 一人の青年を連れた若い女が、手荷物受取所へ現れて、チッキを提出し、そのトランク二個の交附方を求めたのだ。チッキの番号は、一つは「663165」、もう一つは、「406749」。ともに控え番号で「1」で前に言ったように、アリゾナ州フォニックス駅発。料金は、二個で四弗四十五仙とある。
「ブルッカアがそっと報らせて寄越しましたので、私は二人に会って、一寸変なところがあるから、直ぐ渡す訳には往かない。こっちへ来て見て呉れと言いますと、妙な顔をしてくっ付いて来るんです。三十呎離れて、もう堪らない臭いがするんですからねえ。何うです、と私が女に言いますと、女はけろりとして、何もにおいなんかしないという。私は呆れましてね。そいつ等を引っ張ってトランクの傍へ寄って行くと、女も到頭、そう言えば何だか臭気がするようでもあると言います。するようでもあるどころじゃない!――私は言ってやりました。大きい方のトランクだけでも、私の眼の前で開けて見せなければ、渡す訳にはいかないとね。ええ、大きいほうのやつが、最も臭いが激しくって、扱った駅員なんか、みんな鼻を摘んだような有様です」
 すると、鍵を忘れて来たと女が言う。そこで、アンダスンは、駅に合鍵があるかも知れないというと、同伴の青年が、狼狽てて口を挟んで、
「それは不可ません。婦人の私用物を他人の前に公開するという法はない。無礼です。恥かしい思いをさせるかも知れないじゃありませんか」
 と、いきまくのだ。
 女は徹頭徹尾、胡瓜《きゅうり》のように冷静だったが、青年の言葉に勢いを得て、
「じゃあ、あたし主人へ電話をかけて、トランクの鍵を急いで持って来て呉れるように言いますわ」
 で、電話のあるアンダスンの事務室へ這入って行ったが、本当に電話を掛けたのか、或いはかけた振りをしたのか、兎に角、一、二分して貨物室へ帰って来て、良人が不在で、使用人には鍵の在所《ありか》が判らないから、では、今日のうちに鍵を持って、後からもう一度出直して来るというのだ。
「ところが、四時迄待ちましたがね、女も青年も、それっきり姿を見せませんし、臭気は愈いよ堪らなくなりますので、探査員マアクさんと、駅長のマッカアセイさんの意見で、これは警察を煩わしたほうが好いというので、御足労を願った訳です」


 ライアンとトレスの二刑事は、案内されて荷物部屋へ這入って行く。アンダスンの指さすところに、成程大きなトランクが二つ転がっている。一つは、角型の黒のパッカア式で、他は汽船用《スチイマア・スタイル》といわれる平べったいやつ、前のよりは少し小さく、灰色を帯びた緑に塗ってある。
 ライアンが、鼻をひこつかせて、
「鹿はこんな臭いはしやしねえ」
「鹿にはあらで――」
 洒落気のあるやつで、トレスが応じた。
 まだしか[#「しか」に傍点]とは判らないが、何うも益ます怪しいのである。
 立って凝視《みつ》めている二人が、この時気の付いたことは、赤みがかった茶色の液体が、大きな方のトランクの合せ目から、滲むように流れ出て、床を這って居ることだ。
 斯ういう場合の調査のために、鉄道会社には、何千何百という鍵が備えつけてある。それらを片っ端から合わせて見ているうちに、ライアンが最後に、此の二個のトランクに合う鍵を発見した。最初それで、大きい方の鍵前を辷らして、逡巡《ためらい》勝ちに蓋を持上げると、思わず彼等は、一歩蹣跚き退った。瞬時の恐怖は、この、凡ゆる異常時に慣れ切っている老刑事の神経をすら、強打したのだ。


 はじめ眼に映ったのは、急ぎ出鱈目に掻き集めて、抛り込んだとしか思われない雑多な品物――手紙、書類ようの物、リボン、写真、ドレスや靴下や、コルセット等の女の身廻品――刑事が静かにそれらを分け退けると、その下に、怖るべき光景が待っていたのである。毛布に包まれて、不自然な形に折り曲げられた裸体の女の死骸だ。
「うむ!」
 と呻いて、ライアンは反射的に、持上げていたトランクの蓋を放す。蓋は、どさっと音を立てて落ちて、この戦慄すべき眺めを遮断した。同時に、トレスが電話へ駈け付けて、捜査課殺人係主任フイリップ・パアジェスを夢中で呼び出して居た。
「おい! また忙しいことになったよ。やり切れやしねえ、指紋課員を早速S・Pの停車場へ寄越して呉れ」


 小さい方のトランクには、小児用の桃色の毛布の下に、素晴らしく美しい、若い女の首と胴が、別べつに這入って居た。ほかに、シイツの包みが二つあって、これは開けて見ると、生なましい、其の女の足だった。身体の中央部、胸から膝までは、トランクの中には無かった。此の若いほうの女は、写真で見ると、可成りの美人で、映画女優のルス・チャアタトンにとてもよく似ている。場所がハリウッドを控えた羅府なので、さては、映画関係?――それなら、途法もないジャアナリステック価値だというんで、最初新聞記者がぴくっと興奮して耳を立てたのも、無理ではない。
 羅府警察署から、さっそく停車場目がけてわんさと押し掛けて来る。今様シャロック・ホルムスの名あるポウル・スティヴンス警部、指紋係W・N・ヒルデブラント、刑事E・J・ベクテル等の顔ぶれ、これらは、すべて現在、同地の警察界に活躍している人々である。
 警察医の手に依って、この二人の女の屍体は、市の変死人収容所へ移される。殺人強力犯係ダヴィッドスン警部が駈け付けたのは、この時だった。
 先ず、その日の正午にチッキを持ってトランクを受取りに来た、若い二名の男女の容貌、服装、言語の特徴などを、応対した駅係員に就いて詳細に聴取するところから、このセンセイショナルな捜査の第一幕は切って落される。
「トランクが着くと直ぐ、警察へ言って呉れりゃあ宜かったのになあ」ライアン刑事が口惜しそうに、「今頃はもう犯人は立派に押さえていたよ」
 然し、アンダスン着荷係が言うには、変な臭いのする荷物が着いたからといって、一いち警察へ報らせていては遣り切れない。世の中には、変った人も多いから、思いもかけない奇抜な品物を思いも掛けない奇抜な包装で送るやつがあるというのだ。魚を鞄へ入れたり、鳥や、そうかと思えば愛犬の死骸などを、大事そうに見事なトランクへ詰めて出したり、――臭い荷物は、日に幾つとなく停車場を通過する。特に今のような狩猟のシイズンには、これは有り勝ちなことで、それにアリゾナ州は狩猟地でもある。勿論、そんな物を簡単な方法で汽車便で送ることは、規則違反ではあるけれど、実際はよくあることなのだった。
 秋の半ばだが、十月といえば、丁度亜米利加の詩ごころをそそる「|土人の夏《インディアン・サンマア》」――所謂日本の小春日で、ぽかぽかと暖い日が続き、陽気を違えて花が咲き出したりする。妙に生暖いのである。閉め切った汽車の温気で、肉類は腐り易い。で、悪臭のする荷物が着くと、必ず駅員が立ち会って、その面前で受取人に開かせた上、異状無しと見て引き取らせることになっているのだ。で、今日もそこまでは進んだのだが、脛《すね》に傷|有《も》つ二人は、鍵を忘れたと称して逃げ去ったわけで、それに、警察への届出の比較的遅れた理由の一つは、駅のほうでは、二人は後刻必ず再び受取りに来るものと、信じて疑わなかったからでもあった。
 それに、チッキ主任ブルッカアは、何うもあの青年の顔に見覚えがあるようだと言う。去年の降誕祭の前後に、何処だったか、この羅府の店で働いていたのを見掛けたことがあるような気がする――。
「ジョウジ・ブルッカアは、もう退けて家へ帰っていますが、何でしたら、そちらへ御案内致しましょう」
 というアンダスンの言葉に、S・Pの探査員ヴァン・ドュ・マアクとトレス刑事が、其の場から直ぐブルッカアの家を訪れた。が、ブルッカアの言は、要するにそれ丈けの事で、いま顔を見れば、無論覚えているが、名前などは知らないというのだ。ところが、このブルッカアが鳥渡した機みで、その青年が停車場へ乗って来た、古いフォウドのロ
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