ウドスタアの番号を記憶していたのは、この際、刑事連を雀躍せしめるに充分だった。
 捜査の手口は、実に此の自動車番号から解《ほ》ぐれて行く――。
 泥だらけのがたがたフォウドで例の男女二人は、男の運転で、これを駆って逃げるようにS停車場を[#「S停車場を」はママ]離れたと言う。
 其の夕刻ダヴィッドスン警部とライアン刑事は、変死人収容所で、郡警察医A・F・ワグナアの執刀した二人の女の屍体解剖に立ち会った。


 大理石の解剖台の上に、沙漠の国アリゾナから、この灯きらめくロスアンゼルスまで、屍骸の途伴れだったふたりの女の身体が横たわっている。じつに残虐を極めた殺し方だった。若いほうの屍骸は、殊に非道く、不器用に切りさいなんであって、医師でさえ正視に耐えないものがあった。頭部と右の乳房と、左手の中指と三箇処に、拳銃《ピストル》の貫通傷を受けている。多分、最初太腿部の[#「太腿部の」はママ]附根からでも切り離そうとしたものだろうが、その困難なのを発見して諦め、比較的柔かな胸の下から、切断したのだろうと言われた。血液がすっかり流出して、肢体には、まだ腐敗や、崩壊の兆候は認められなかった。
 もう一人の犠牲者は、でっぷり肥った、三十がらみの大柄な女で、このほうの死骸はそっくり完全だった。只一発で殺られたものらしい。弾丸は、左耳下から這入っている。この死体の納まっていたトランクは、貨車に逆さまに積まれて来たものらしく、頭部の弾孔から自由に血が溢れ出て、トランクの底に夥しく溜まり、途中ずっと顔全体血液に漬かって来たので、その為めに、ちょっと人相が判らない程崩れかけていた。

      2

 トランクの中の品物は、長さ十吋程の緑色の柄の附いたナイフと鋸と、両方折畳み式になっている物が一個、血だらけの絨毯の隅を切り取ったもの、コダックの写真、書物が数冊などで有名なオマア・カヤムのルバイヤットも出て来た。手紙のうち数通は、「ヘドウィッグ・サミュエルスン嬢」へ宛てたもので、他の数本は、「アグネス・アン・ルロイ夫人」の宛名になっている。この二人とも、住所はアリゾナ州フォニックス市北二丁目二九二九番地と封筒にあるのだ。
 其のコダックのスナップシャットと照らし合わせて、若いほうの女は、手紙の主「ヘドウィッグ・サミュエルスン」に相違ないと断定された。年取った肥ったほうは、血で顔がうるけていて相貌は判然しないけれど、写真の姿体やなどから判断して、これも手紙の宛名にある其の「アグネス・アン・ルロイ夫人」だろうという事になった。コダックの写真の裏に一いち「サミイとアン」と親し気な文句が書いてあって、そして、その写真の凡べては、此の二人の女友達の如何にも仲の好さそうなポウズを示しているもの許りだ。
「サミイ―― Sammy」というのは、言うまでもなく、友達仲間の与えた、サミュエルスン嬢の愛称と思われる。


 大きな方のトランクから、財布が二つ出た。その他、二十五口径の弾薬筒三つと、鋼装の拳銃《ピストル》弾丸も一発、発見された。ワグナア博士の検証では、二人とも、この弾丸で撃たれたものらしいとある。
 もうこの時分には、羅府警察は全力を傾けて、この煽情的な「女詰めトランク」の犯人捜索に狂奔している。
 捜査課ががら空きで、署内の動きの只ならないのを見て取って、新聞記者は直ぐニュウスを嗅ぎつけて集まって来る。ダヴィッドスン警部とライアン刑事が、差閊えのない程度に発表して、新聞記者の協力を求めた、犯人の高飛びを懼れて、重大な手懸りは無論伏せてあるが――。
「何うもこれは、女の仕事らしく思われる」
 捜査課員の意見は、この点に一致したのだった。
 今や捜査は、全機構を挙げて、車輪のように廻わり始めた。フォニックス市のS・P会社へ宛てて、チッキ番号NO・406749と663165と、この二個のトランクを発送した人物に関する調査依頼の電報が飛ぶ。
 日曜日だった、この、事件の起った十月十九日は。
 長距離電話が、フォニックス市と羅府との間に交わされて、この殺されたふたりの女は、同市北二丁目二九二九番地―― No. 2929 North Second Street Phoenix, Arizona ――に住む Miss Hedvig Samuelson と Mrs. Agnes Anne Le Roi の二人に間違いないとなった。そこで今度は、この羅府の停車場で、トランクを受取ろうとして失敗した、あの二人の男女の人相書をフォニックスの警察へ電話で言い送ると、
「その人相に該当する者を当市に於て急遽捜査して、早速お知らせしましょう」
 フォニックス警察の答え。
 すると、である。一時間も経たないうちに、直ぐフォニックスから線が継がれて、北二丁目二九二九番地の家は目下無人で近所の者の話しでは、ルロイ夫人もサミュエルスン嬢も、去る十月十六日金曜日の夕方から、少しも影を見せないということ。
「其の地でチッキを提《さし》出した婦人の人相に当て填まるものは」フォニックスの係員は続けて、
「当署の調査に依れば、ルウス・ジュッド夫人ではないかと思われる。ルウス・ジュッド。Mrs. Ruth Judd そうです。J・U・D・D――ちょっと変った綴りです。この女は、お話にある通り、年齢約二十六、七歳、金髪で相当の美人です。いや、非常に美人だと言ってもいいでしょう。良人というのは、ウイリアム・C・ジュッドという医者で、目下御地羅府か、さもなければ加州のサンタ・モニカに出張している筈です。時どきジュッド夫人は、サンタ・モニカ町十七丁目八二三番地のアドレスで、良人と文通していることも判明しました。何うも疑問の女は、このジュッド夫人に相違ない。尚、夫人は、土曜日の晩当地発S・P第三号列車で、ロスアンゼルスへ向け、出発しています。家主の親爺が夫人に頼まれて、大きなトランクと少し小さなのと二つ、停車場まで運んだとも証言している。もう、断然間違いありません」
「O・K――それでは、相互に聯絡を保って、今後の進展を報告し合うことに――」
 これで、電話が切れた。
 間もなくフォニックス市のS・P鉄道会社から電報が来て、それによると、トランク発送人は、同市駅の台帳に、マッキンネル夫人と署名したという。この「マッキンネル夫人」は、ロスアンゼルス行きの切符を求めて、トランクと一緒に、その西部廻りの汽車に乗り込んだとある。これがルウス・ジュッド夫人であることは最早疑いの余地はない。
 その間に羅府の捜査は着々進行して、交通課の調査に依り、あの、金髪の女と青年の乗っていたフォウドの自動車が突き留められた。羅府から十五哩程離れている小都会、ホウソン町に住んでいる一婦人の所有車なのだ。
 が、刑事の訪問を受けて、その女は、
「あれはもう使い古した車なので、羅府の若い男の人に売って終いましたよ」
 と言う。
「その買手の住所姓名は、判っているか」
「名前は――ちょっと忘れましたが、家は何でも、羅府ニュウ・ハンプシャア街八二六番地とか言っていたようですよ」


 これに勇躍したライアン刑事は、同僚トレス・マックリィディの二人と緒《とも》に、早速其のニュウ・ハンプシャア街へ駈け付ける。もう真夜中のことで、ぐっすり眠っていた青年を叩き起して訊いてみると、それがまたその車を売り払った後だというので、
「二、三週間前に、バアトン・マッキンネルっていう若い男へ譲ってやりました。そいつの住所ですか。ビヴァリイ谷《グレン》の二一一一番地だったと思いますが――」
 で、その足でビヴァリイ谷の家へ出掛けてみると、つい数刻前まで人の居たらしい気配が残っていて、台所の卓子《テエブル》の上にサンドウィッチと、レモン・パイの半分這入った紙袋などが置いてある。急の客のために慌しく食事を出す必要があって、こんな物を買って来たらしく思われるのだ。ドュヴァル巡査という人が、見張りに、その留守の家に残されることになる。誰でもやって来た者は、直ぐ捕まえるようにという命令で。
 十時頃、あの、フォニックス市警察から供給された材料で、刑事の一隊が、サンタ・モニカのジュッド医師のアドレスを検べに行くと、ここには思い掛けない非常な効果が一行を待っていた。ジュッド医師の実妹ケリイ・ジュッドというのが玄関に現れて、何ら隠すところなく兄のジュッド医師と、その義弟――ルウス・ジュッド夫人の実弟――バアトン・マッキンネル青年とが、丁度家に居るというのだ。早速この二人とケリイ・ジュッドを連行して、一同は羅府へ引き上げて来る。バアトン・マッキンネルは正直に、姉を自動車へ乗せてS・P停車場へトランクを受取りに行ったと告白した。
 が、バアトンの正直なのは其処までで、後は、知らぬ存ぜぬの一点張りである。身長《せい》の高い、ラグビイ選手タイプの好青年で、勿論、姉の怖るべき犯罪を識り、懸命に匿っているものに相違ない。
「いま姉が何処にいるか、僕は知らないんです。知っていればお話ししますけれど」
「じゃあ兎に角、停車場へ一緒に行った時のことを詳しく話してみるがいい」
 ダヴィッドスン警部が訊問に当る。此の人が、このルウス・ジュッド――「アリゾナの女虎」――事件の捜査係長だったのだ。
「詳しくと言ったって、今日のことは簡単です。別に申上げることはありません。今朝、私の通っている南加大学の教会へ行って出て来ますと、姉が戸外に立って待っていたのです。何だか非常に興奮しているようでした。そして、言うには、急用があって、今アリゾナから着いた許りだが、停車場にトランクが二つ預けてあるから、僕に、自動車を持って一緒に受取りに行って呉れと言うんです」
 何うも様子が変なので、よく問い質してみると、其のトランクを一刻も早く処分しなければならないという姉の言葉である。バアトンは可怪しいと思ったが、兎に角、言われる儘に自動車を引き出し、姉を乗せて停車場へ向った。途中ルウスが、その二個のトランクを海へ持出して沈め度いのだが――と言い出したので、これにはバアトンも吃驚して、色いろ理由を訊ねたけれど、ルウス・ジュッド夫人は、肝心の事は弟にも打ち明けなかった。
 これは何か訳があるとは思ったが、何も訊かずに姉のために働く気になったバアトン・マッキンネルは、駅の手前でちょっと車を停めて、綱《ロウプ》を買った。トランクを沈めにかける時に、こいつで縛ろうというのだ。が、停車場へ行って荷物を見ると、バアトンも仰天したという。トランクの廻りに、蠅がぶんぶん唸って飛んでいた。
「後は御承知の通りです。駅の荷物部屋で開けられそうになったので、鍵を忘れて来たと言って逃げたのでした」
 停車場を離れて小一町も走らせると、金を持っていないかとルウスがバアトンに訊いた。五弗しか持合わせがなかったので、バアトンはそれだけ姉へ渡して、すぐ何処かへ飛んで潜んでいるようにと言うと、ルウスもその気になって、急に狼狽て出した。
「で、僕は、七丁目と広小路《ブロウドウエイ》の角で、自動車を停めて、姉を下ろしたんです。ルウスは直ぐ下町の雑沓に消えて行きました。それっきり会いませんし、ほんとに、何処へ行ったか知らないんです」
「何時お前は、義兄のジュッドさんに会いに、サンタ・モニカへ行ったのか」
「先刻です。九時半頃出掛けました。ことによると、もうあっちへ警官が廻っているかも知れないと思ったのですが、義兄の妹のケリイが台所に食事していて、まだ何も知らない様子でした。ジュッドさんは、風邪を引いて二階に寝ていましたが、すぐ下りて来て、三人で台所で胡桃を割って食べ乍ら話していたんです。そのうちに僕は、兄をそっと別室へ呼んで、今日のルウスの不思議な行動をすっかり話しました。良人ですから、きょうジュッドさんのところへルウスから電話でも来たかと思って訊いてみましたが、何も言って来なかったそうです。もう其の頃は、夕刊に、出て騒ぎになっていたんですが、義兄《あに》は未だ何も聞いていない風でした。そこで僕が戸外の自動車へ引っ返して、その夕刊を持って来て見せますと、
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