義兄は非常に驚きましたが、結局、ルウスから何か言って来るまで静かに待つよりほか仕様があるまいと言うことになったんです。で、そういうことに相談を決めて、ケリイには何も知らせ度くないので、その後は何気なく雑談を交わした丈けです。其処へあなた方がいらしったんです」
「君が最後に別れた時、姉さんは何んな服装をしていたか」
「黒と白のドレスを着ていました。帽子は、多分黒だったと覚えていますが――」
 それからは何んなに訊問しても、バアトンは姉の行動に就いて一言も吐かないし、また事実それ以上は知らないらしくもある。実際、ルウス・ジュッド夫人が自動車を下りて以来、一度も会っていないことは確からしいのだ。正午の羅府の下町である。織るような人通りで、ルウスは忽ち其の人波に呑まれて見えなくなったという。
「若しほんとに姉が、あのトランクの中の女二人を殺したものとすれば、その時発狂していたに決まっています」バアトンは懸命に、姉のジュッド夫人を弁護して、「そして又、姉が悪いにしたところで、僕は姉の弟です。姉に取って不利益になる事は、例い知っていても言う訳にいきません」


 ジュッド医師は、四十八歳の温厚な小市民|型《タイプ》である。気の毒な程取り乱していた。それでも、訊かれることは包みなく話したが、これも事実、何事も知らない様子で、この、良人のジュッド医師は余り捜査の手助けにはならなかった。
 が、ジュッド氏は、この際、警察を助けようという誠意から、妻の平常など、問われる儘に包まず隠さず話すのだった。
 興奮の極、かすれた低声で、
「信じられません! とても信じられません!」と、ジュッドは叫ぶように、「ルウスがそんな大それたことをしたなんて、私は考えることも出来ません。あれは、決してそんな惨虐なことの出来る女ではないのです。何時も淑《しと》やかな落着いた妻でした。よく私の面倒を見て呉れて、家事の好きな、自分の口から言うのは可笑しいが、しかし、事実です。フォニックスの町では、誰でも知っています。実に立派な家内です。若し彼女《あれ》がこんな怖ろしい犯罪に関係したとすれば、決して一人ではなく、いや、ルウスが主犯ではないので、ただ、手を藉したに過ぎないという程度に相違ありません。それにしたって、私には、とても信じられません! ああ、ルウスが!――信じられない! 信じられません!」


 ジュッド医師は、前後もなく混乱して、続けた。
「サミュエルスンさんや、ルロイ夫人と喧嘩したなどという事も、私はちっとも知りませんでした。サミイとルウスと、ルロイ夫人と、この三人は、極く仲の好い友達だったんです。私のところへ来るルウスの手紙には始終『サミイとアン』と二人のことが書いてあって、何時も親しそうな筆振りでした。只、十日程前に受取った手紙に、何ですか余り感心出来ない男が、この頃盛んに二人の家に出入りして、酒を持って来たり、サミイとアンを遊びに連れ出したりしているが、自分はどうも心配でならない、何とかして二人の為めに其の男を遠ざけ度いものだが――というような事が書いてありましたが、私は別に気に留めませんでした。サミイもアンも、決して、別に酒飲みというわけではなく、ただ時どき薬用の意味でジン酒を舐める位いのもので、これは、まあ婦人でもよくやることですから――兎に角、何んな形ででも、妻とサミイとルロイ夫人と、三人を取り巻いて、真剣な問題が起っていようとは、私は夢にも思わなかったのです」
 しかし、此のジュッド医師の話しを聴いていると、何となく、追いおい事件の輪廓が判然《はっきり》して来るのである。

      3

「奥さんがその二人の女に会ったのは何時のことで、一体何ういう関係なんです」
 ダヴィッドスン係長が訊くと、ジュッド医師は、熱心に椅子を進めて、
「この二月頃だったと思います。家内がグルノウ療養院に、ちょっと手助けに行っていて、其処に働いていたアン・ルロイ夫人に逢ったわけなんです。アンはX光線専門の助手で、家内は頼まれて、私と親交のある同療養院の院長ルイス・ボウルドウイン博士と、副院長ヘルトン・マッコウエン博士と二人の秘書格として、勤めていたのです。このアン・ルロイ夫人を通して、家内はサミュエルスン――サミイという通り名で呼ばれて一同の人気者でしたが――に逢ったのでした。少し肺が悪るくて、グルノウ療養院に入院していたのですが、もう其の頃は大分快くなりかけて、陽気な性質なので、盛んに廊下を跳び歩いては、病院内の愛嬌者だったといいます。このサミイとアン・ルロイ夫人は、まあ、看護婦と患者の関係から這入って、非常に仲よくなり、サミイが退院すると、二人で一軒の家を借りて住み始めました。私も家内と一緒にその家へ遊びに行って、夜四人でブリッジなどしたこともあります。それはこの四月頃のことで、二人は、フォニックス市北二丁目の小さなバンガロウにいました。ちょっとアパアトメントのようになっている建物で、二家族住めるように出来ているのです。サミイの肺はまだほんとでなく、時どき悲観的な口調を洩らすというので、ルロイ夫人もルウスも非常に心配して、医者の私に慰めて、力づけて呉れるようにと、始終頼んだものでした。それから一と月程して、その家のほかの部屋にいた、もう一組の家族が何処かへ移ったので、ルウスがあまり熱心に言うものですから、私達夫婦は、其処へ移ったのでした。で、四人一軒の家に住むことになったわけで、自然、朝夕よく顔が合いましたが、ルウスはほんとにこの二人の女に夢中で、あんな好い人達はないなどと、始終口癖のように言っていました」
 このジュッド医師は、ずっと会社の嘱託医を専門にして来た関係上、関係している保険会社の依頼などで、よく長い間、家を明けて、他の地方へ出張しなければならないことがあった。丁度その頃、アリゾナ州ビスビイ町に新しい鉱山事業が起って、その従業員の身体検査やなどを依頼されたために、ジュッド氏はまた長期に亙って、家を留守にしなければならなくなった。それが、この八月八日のことで、それ以来、各地を転々して、ジュッドは、その八月初旬から妻に会わずにいるのだ。現在はビスビイの方の仕事は済んで、半ば休養を兼ねて、サンタ・モニカの妹の処へ来ているというのである。が、今日明日にもフォニックス市へ帰る積りであった。
「私は大戦に出征して負傷したのです」
 ジュッド医師は言う。
「それから身体が弱くなって、時どき休まなければなりません。そのために開業することは出来ず、生活もあまり楽でないので、そのために家内も前に言ったようにグルノウ療養院に勤めたりしたのでした。そこで伝染したのではないかと思うんですが、家内も肺結核の気味があるんです。私がアリゾナを出て来る頃は、病勢はちょっと進みかけて、次第に依っては、この加州パサデナの肺療養院へ呼び寄せようかと思ったことがあった位いです。が、その後快くなって、元気にやっているようでした。アリゾナは空気が好いので、彼女の健康のためにも、私はずっとあの町に住んでいたのです」
 このルウス・ジュッド夫人も、看護婦上りなのだ。ジュッド医師が、インディアナ州エヴァンスヴィルの州立精神病院に勤務中、そこで逢ったのだということだった。
「十七の時私と結婚したのです。何うも身体が弱くて、あちこち南部の州を連れ歩きました。生れは、インディアナのラフィエット町ですが、私達は墨西哥《メキシコ》へも行きましたし、一度実家へ帰っていたこともあります。フォニックスに住むようになったのも、家内が私を助ける意味から、保養に来ていた市俄古の富豪の家庭看護婦として、そっちへ行くようになったからでした。私が思う通り活動出来ないので、こうして結婚後もよく病院勤めをして、生活を助けて呉れたのです」
「ピストルをお持ちですね、奥さんは」
「たしかコルトの自働式を一挺持っているようです。メキシコにいた時、物騒なので、護身用に携帯させたのでした。が、怖がって、触ったこともありません。弾丸も何時の間にか失くしたとか言って、家にないようでしたが、そう言えば去年の秋、新らしい弾丸を一箱買い入れていました」
「奥さんはこのロスアンゼルスに、頼って行くお友達でもおありですか。潜伏の便宜を得るという程親しくなくても、文通や交際のある――」
「存じません。が、あれば私も知っていると思います。快活なお饒舌り好きな女ですから、何でも言う筈ですが、羅府に知人のあることは聞いたことがありません」
「奥さんの行方を突き止めるために、警察に力を貸して下さるでしょうね?」
「無論です。逃げ隠れたりなどしないで、立派に身の証しを立てて貰い度いと思います。若し家内が事実こんなことをしたのなら、何かそこに止むを得なかった事情があるものと思いますから、それを説明すべきです。お手数を掛けて申訳ありません。だが、私としては、家内から何とも言って来ない以上、何処に居るかは全然判りませんし、手のつけようがありません。若し何か言って来れば、即刻自首するように申聞けます。必ず責任を以て警察へ突き出します」
 長時間の鋭い訊問に疲れ果てて、ジュッド医師は、すっかり神経質になっていた。女のように、ハンケチを眼へやって、
「こんなことが起ろうとは――ショックです。何うしたのでしょう! 私には解らない。あんなに優しい、好い妻なのですが――まだ二十六です。今朝アリゾナから出した、こんな手紙が妻から届きました」
 と、上着のポケットから取り出した手紙は、十月十七日発のもので、スタンプの時間から判断すると、ルウスは女二人を殺した直後、この手紙を書いたものらしいのである。

「一九三一年十月十七日」
 アリゾナ州フォニックス市にて。
 親愛なウイリアム、
 毎日のように手紙を書きかけては、途中で破いたり、用事が出来て書きつづけられなかったりして、つい御無沙汰に打過ぎました。そちらからは始終お手紙を頂いて、ほんとに感謝して居ります。私この頃とても忙しいんですの。何ていうことなしに夢中で日が経って行きます。
 夕方家へ帰って来ますと、猫を抱いて暫らく寝ますの。眼が覚めると、真っ暗になっています。其の時の寂しさといったら! でも、そんなこと言ってはいられませんから、勇気を出して、一人でお夕飯を食べます。あと片づけをすると、がっかりしてしまいますが、でも毎晩歴史の勉強をしています。それからまた猫を抱いてベッドへ這入りますの。この頃少し肥って参りましたわ。ルロイさんや、サミイと交際しなくなってから、とても気が楽になりました。食慾も随分あります。女中のスウはほんとに好い娘です。それは可愛いんですの。あの頃の私によく似ていると思います。私は自分が可愛かったとは言いませんが、でも、スウのように誰にでも話しかけて、みんなに親切でしたわ。ですけれど私は、何でも自分の思う通りにしなければ承知しない子供でした。今でもそうですが、私は小さい時分から自由を愛していたのです。
 私は寂しいんですの。お帰りになる日をお待ちしています。私はあなたを愛しています。愛の両手であなたをしっかり抱いていますわ。でも私、今夜はすっかり疲れていて、もう愛のことを書く気持ちになれません。一と眠りして身体が休まると、すぐあなたのことを思います。来週の水曜日か木曜日にはお帰りになれませんか。私ほんとにあなたを必要とします。お金もあんまりありませんのよ。或る人に十五弗胡魔化されてしまいました。口惜しくって、くやしくって――でも、この事は考えないことに決めていますの。
 狩りのシイズンで大変です。療養院のお医者さんも、四人で鉄砲をかついで出掛けて行きました。アリゾナの沙漠も、もうすっかり秋景色です。でも鹿は今年とても多いんですって。看護婦達も相談して、医務局の人達に負けずに、狩りに押し出そうかと言っていますの。私も行くとしたら、ちょっとお金が要りますわ。でも、私達のは、ちょっと午後行って、鳩を撃つ位いのものですから、沙漠の強烈な秋陽に照らされて来るばかりです。
 もう晩いのよ。一時ですの。まだ晩御飯を
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