銀《ルピ》を持っている。連隊を教練している。そして、十字架と病院と学校事業と社会施設とで、交換に、同胞から労力と資源と、それから Thank you を奪《と》り上げているのだ。もっとも、いつまでもこうではあるまい。しかし、いまはまだ、すこし早いのだ。カルカッタの若者マハトマ・ガンジも同じ意見である。まだ早い。まだ、すこうし早い。だから、それまでは静かに、しずかに動き回って、手相術《パアミストリイ》と、白人の女への猥言《わいげん》と、この椅子車と――それはいいが、ヤトラカン・サミ博士の一生のうちに、博士が、「ついにその椅子を蹴《け》って踊り出る日」が、いったい来るだろうか。
せいろん政庁のいぎりす旦那たちは、とうの昔から、博士の名を赤いんく[#「いんく」に傍点]で台張《ブック・アプ》してある。そして、「きちがいの老乞食」と言い触らして、例の便利な浮浪人取締法を借りて、絶えず合法に看視しているのだ。
だが、ヤトラカン・サミ博士は、乞食でいっこうさしつかえなかった。事実、婆羅門僧の修行には四つの階梯《かいてい》がある。道者たらんとするものは、まず学生を振り出しに、つぎに家庭人として生活
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