―しかし母親の剣幕が一番おそろしく、富次は紐《ひも》のちぎれた鞄を小脇にしっかり押え、こんな場合しかたなしに父親を視た。床の上に長くなっている父親は、いつか学校で見た磔《はりつけ》されるキリストみたいなひげ面で、眼ばかり異様に蒼光《あおび》からせていた。富次はぎょろりと動いたその眼にあわてて視線を壁に移した。するとそこには、医薬に頼れない病人が神仏に頼るならわしどおりに、不動明王の絵が貼りつけてあった。
「学校なんて行ったって――」と母親の言葉がきゅうにやさしくなった。「なあ富次、損しることはあっても一銭だって貰えるんじゃねえからよ、それよかお母あの仕事を手伝うもんだ、な、そしたらこんだ浅草へ連れてくからよ」
「小学校も出てねえじゃ、今時、小僧にも出られねえからよ」と父親が口を挾むのであった。富次はほっとして母親を視た。彼女はそっぽを向いてへんという風に鼻をしかめた。
「なあ、俺が丈夫になれば何とかしるからよ、子供に罪はねえんだし、学校にだけは出してやれよ」
「芝居みてえな口は聞き飽《あ》きたよ、え? お前さんも早く何とか片づくことだ」
母親はそう言って亭主を一瞥《いちべつ》し、富次
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